2010年12月14日火曜日

欠礼


 私の母は少し出来がよかったらしい。一番下の叔母によると、幼いときひとまわり以上歳が離れて、大人であった母は職業婦人で凛として恐かった印象があったらしい。祖母は三人も続けて女の子を産んだ、四番目にしてようやく待望の長男が生まれた。母は二番目の子で、姉とすぐ下の妹は若くして或いは幼くして亡くなったので、実質一番上の子として育った。実家は戦前地主であったのだが祖父の代で没落した。祖父は坊ちゃん育ちであったらしく、ひとの借金を背負って財産を失くしたらしい。そういう絵に画いたような話を聞いた。

 母は本当のところは男に生まれたかったのではないのだろうか。度量は恐らく父よりもあったはずだ。しかしながら根強い男尊女卑の中に育って躾が身にしみていたと思う。何事も父を立てるしかなかった。くやしいと思う心と分限が共存していた明治のひとであった。

 母の実家は薩摩の中心にあって鎌倉の時代から続く武家で、その支流の宗家であるらしい。中世古文書の保管で有名な入来院家も同族である。その母の実家の跡継ぎの叔父が亡くなった。92歳の大往生だったと考える。東京に出てきて東京で暮らし、とうの昔にお墓も移していた。母の実家はもう故郷にはない。
 今日はその総領とでもいうべき叔父のお葬式だった。兄や姉は出席したが、末っ子の私は仕事に託けて欠礼した。ただ、冥福を祈るのみ…。

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