2010年9月8日水曜日

「俘虜記」の遺したもの


 傘をさしていても濡れるほどの雨が久しぶりに降る。台風9号の影響らしい。雨曇りの弱々しい光に秋がきていたことを思い起こす。

 考えるのだけれども、
抵抗する力が無くては生きていけない。
力が無くとも気持ちが無くてはいけない。

 大岡昇平の「俘虜記」(或いは「捉まるまで」)より、
「私は祖国をこんな絶望的な戦に引きずりこんだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった以上、今更彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた。」「いざ輸送船に乗ってしまうと、単なる「死」がどっかりと私の前に腰を下して動かないのに閉口した。」

 高校3年の現代国語の教師はクラス担任でもあった。いつも県都側からみる(一般的な)桜島には違和感があると語っていた。先生は国分の出身で、北側から見るのが桜島らしい姿だと言っているのが印象に残っている。そして、もうひとつは授業のひとコマで、教科書に載っていた「俘虜記」。若い米兵の描写と心の動きが延々と繰り返される一節。そのことの持つ微妙を教授された。その文章と授業がいかにも長々と感じられた。もともと授業は受験勉強然としていて、事実、大岡昇平の文章も入試にはよく取り上げられていた。しかし、それを通り越して、先生の授業は力が入っていたように思う。私は浅慮短絡で、機微や状況のわからぬ生徒だったように思う。引き金をひけばいいではないかと思っていたから。辟易した一方で、米兵の頬が赤く少年のようだったなどのような描写がずっと心に残っていた。
 50代にして、大岡昇平にようやく還り、辿り着いてきた。
いや、まだ遠い。ついつい手にとっては遠ざけようとしてしまう。

『俘虜記』(新潮文庫 85年)、『靴の話』(集英社文庫 96年)
『なぜ友は死に俺は生きてきたのか』(堀切和雅 新潮社 2010年7月)も併せて読み始める。

 列島では泰平に見えるこの社会に、とくに難もなく生きて、平凡な道を歩んでいる。きな臭い、胡散臭い匂いを嗅ぎ分けなければならない。

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