2010年9月1日水曜日

9月1日


 小学校にあがったときの初めての担任の先生は谷山先生といった。いかにも子ども好きといったベテランの男先生だった。いっしょにみんなで撮った遠足の時の写真では、先生は帽子を斜めに被りいたずらっぽく笑っている。

 夏休み明けの初めての朝、教室の前方に父の姿があった。みんなの前で、なにやら谷山先生と話をして帰っていったのを印象深く覚えている。

 町の中心地のメインストリートを少し引っ込んだところに関小児科はあった。関先生によって私は小児性リューマチ熱と診断されたらしい。私は言われてもよくわからない歳だったのに母はそう言い聞かせた。それで友達が遊びに誘いにきても病気だと断り、家の中でごろごろしていた。初めての夏休みの宿題もしなかった、その楽ちんと後ろめたさは両方あった。そういう事情を父は担任に伝えにきたらしい。それで宿題の提出を免除されたと思う。

 みなが皆、真っ黒な顔と体で揃ったところに、私だけが日焼けもせず青白い姿をしていたのだろう。皆と同じように真っ黒に日焼けした姿になれなかった、野山を駆け海水浴に興じたであろう夏休みを過ごせなかったのは、実はとても負い目になった。たかが小学一年で人生をつまずいた気になった。そのとき病気をして苦しかったという記憶はない、忘れたのだろう。ごろごろしていた覚えはあるから、だるかったのだろう。なんとも表現のしようのない疼痛に悩まされ続けたのは、むしろその後の方だった。

 谷山先生には文字通り「あいうえお」から教わったわけだが、先生の黒板にチョークで書く字はとてもきれいだった。誰にでもやさしかったと思うが、とくにかわいがられたようになつかしく想い出す。

 遠い日の今日、9月1日には、そんなひとコマのような思い出がある。

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