2010年7月6日火曜日

サン・ファン館見学


 駅に行ったら本数の少ない便にたまたま間に合ってとび乗った。最寄駅まで行けばタクシー代もそうかからない。駅からのタクシーの運転手さんが、以前はここも船大工だったの、ここもと教えてくれる。小さな造船所らしきあとが海に向かって並んでいる。三陸海岸には「たくさんの船大工がいた」と過去形になりつつある。東北中の船大工さんたちと木を集めて、400年前に太平洋を渡った帆船の復元をしたらしい。伊達正宗が送った慶長遣欧使節の木造西洋式帆船バウティスタ号のこと。1613年月浦(現宮城県石巻市)から出航する。西洋人の設計と航海術があったとはいえ、当時の世界でも最新式の帆船を自力で建造し、使節の送り迎えで太平洋を2往復したというのは驚きだ。

 はるか昔、たしか長崎県の主催だったと思うが、招待を受けて特産物の展示会を観に行ったそのコースにハウステンボス見学が入っていた。同じように当時の南蛮船が復元されていて内部を見てまわり思いを中世の大航海に馳せたものだった。ちなみに平日だったこともあるが大きな施設にあって閑散としていたが、案の定、後日経営破たんした。そのことを思い出した。ここ宮城県のミュージアムも広くしかもりっぱな施設だ。

 支倉常長およびビスカイノ船長の部屋の木製ベッドを見て目が丸くなった。幅60cm、長さ150cmぐらいしかない。最初、常長って当時の人は背が低かったのかなと思ったが、西洋人のベッドも同じだ。身体を折り曲げて使ったらしい。この二人だけが特権で、乗組員180人の残りの人は寝るのに横になることもできなかったらしい。練る時は膝を抱いて寝たそうだ。ただでさえ命がけに加えて決して快適ではないこの条件によく耐えられたものだと感心する。梅雨の合間にここをあわただしく見学して、ローカル線に乗り三陸海岸へと向かった。三陸の駅で降りたら、やはり別の組のいとこ夫婦に出遭った。前の前の、日曜日のこと。

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