2010年7月3日土曜日

志津川のおんちゃん


 見たことのある妻殿のおじいさんの写真があった。それはそうだ叔父さんの家なのだから。舅殿を、ふたまわりほど恰幅よくしたような人だ。豪快に笑う。

 名勝の神割崎を見物して、志津川の駅まで車で送ってもらって窓口を覗いた。そうしたら、次の列車は二時間半後だ。いくらなんでも一時間に一本ぐらいはあるだろうと思っていたのが甘かった。前の列車は一時間前だったから昼間は三時間半に一本ということになる。町のパンフレットがあって地図もあったから町の見物でもして時間をつぶそうということになった。

 この町は1960年のチリ大津波のときに大きな被害にあっている三陸の漁港だ。湾ではホヤ、ワカメ、そして銀鮭の養殖が盛んだ。何か町起しにも取り組んでいるらしい。

 「志津川のおんちゃん」という叔父さんの家があることを知ってはいた。妻殿は小さいときに来たきりだから場所は覚えていないという。それで私が先導して、あてずっぽうに町へ進んだら一発で見つけてしまった。妻殿の実家と同じ屋号で同業を営んでいる。見ればりっぱな構えで往年の繁盛振りが窺える。ほかの従姉妹もいて、ぶらりと来ていきなり訪ねて行くのはいかがなものかと思えたのだが、妻殿は迷った末、決心してあいさつだけしていくということになった。恐縮していたら、「毎日が日曜日ですから」と叔母さんにも言われ歓待されてしまった。妻殿は父方の従弟にも再会して昔話に花が咲いた、二つほど年下らしい。息子四人で娘のいなかった叔父は姪っ子の妻殿をずいぶんかわいがっていたように思える。情の厚い叔父のようだ。当然妻殿の実家の話になって兄貴は92になるという。舅殿より四歳下であるらしい。かくしゃくとはしていたが、大病を患ったと聞いていた。

 この妻殿の叔父さんは私達の結婚当初、遠い九州の片隅で「どこの馬の骨」ともわからぬヤツと結婚したかわいい姪御が心配だという趣旨の長い手紙を毛筆で書き連ねて寄越した。そのことがとても印象に残っている。その後、慶弔などで会うことはあったが、このたび初めて自宅を訪れた。なにか、肩の荷が下りた気がした。

 ぶらり訪問の手ぶらで行ってお土産までもらってきた。帰ってきてから手紙を添えて「今治のタオル」をお礼に送った。

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