2009年3月16日月曜日

「しんこだんご」


 ご多聞に漏れず故郷の商店街の寂れ方は激しい。
 近辺の農漁村、離島の商業の集積地だったから往年の故郷の町は何か行事があれば人がごったがえした。今ぐらいは早馬際(はやうまさい)だろうか。シャンシャ馬(着飾らされて祭りのために訓練された農村馬)が躍る姿を大人の腰のあたりから垣間見ながら胸がわくわくした。
 鉄道は本線と支線。本線は特急が止まる。大きな川が流れていて町を二分する。川と川原が大きいから大きな鉄橋で、今ぐらいの季節は両岸の堤防から汽笛を鳴らして長い鉄橋を渡っていく列車に無心に手を振る光景があった。北へ向かう集団就職列車だ。誰が乗っているのかは知らないけれど故郷のひとびとは就職列車であることを知っていたから手を振り見送った。それは離島の港で別れの光景にも等しい。廃止になった「はやぶさ」はあこがれの東京行き寝台特急だった(もともとは、熊本ではなく西鹿児島が始発)。
 乗り合いバスは我が町を終発着点として近郷から集まった。ターミナルセンターだったのに、よくこんな狭いところに集まったものだと今では思う。川には木材を満載したポンポン船が遡上してきた。小さいときには遥か彼方と思っていた離島・甑島から来ていた。帰りには日用品を買い込み(とくにちり紙が印象に残っている)また帰っていった。西に沈む夕日は「3丁目」よりもとくに赤かったと記憶している。

 「ちんこだんご」と呼んでいたと思う。
 国道沿いに長広い町には商店の軒先を借りて、道具に炭火を起こし焼き団子を売るおばさんがいた。別々に数人。焼き道具と、団子を入れておく小さくて粗末なガラス戸棚とそれらを乗せる台と椅子があればよかった。頭に手ぬぐいをかぶり、割烹着を着た姿だった。いつも火を起こし先が破れたうちわで煽っていた。1本は子供でも買える安いものだった。軒先ではあったが、雨の日以外はほぼ路上で毎日商売をしていた。ひとりとして小さくとも建物としてのお店を構える人はいなかった。我が町が発祥だと思う、また誰かが始めたのだとは思うがどの人かは知らない。私の育ったころは第一世代のおばさんたちだと思うが、ほぼメンバーは変わらなかった。町中で、各自一人で商売をしていた。雨の日はいなかったと思う。どこから来てどこに帰っていったのだろう。
 どうやらあれは我が町の名物だったようである、というか名物になっていったようだ。町のものはすぐ手に入ったので近郷から来る人の気持ちはわからなかった。近在にはなかったらしい。きちんと構えた町のお店、お菓子屋さんで売られていたのではなかったので、町の名物というには、そうは認めてはいなかった。こげなもん「格下」という位置づけだったように思う。生活に窮した未亡人か誰かが始めた路上の商売が始まりだったようなので軽く見られていた、あけすけに言えば多少差別されていたように思う。日陰の商売、誰も庇は貸すが母屋はとられなかった。しかし、安さとおいしさ、そして収益性には実力があったから、町の外の人たちが「名物」として認め、それを追認した。ま、難しいことはともかく私はこれが好きだった。おもしろいことにどのおばちゃんも愛想がよかったわけではなかった、悪いわけでもなかったが。商売人の阿(おもね)りがなかったと思う。
 米の粉、上新粉の団子だった。小さな団子で5個竹串に刺したあのスタイルである。しょうゆで味付けして焼いたもの。もちろん対面で、焼いて(焼きなおして)、1本から何本でも売ってくれた(原点だ)。
小さいから「ちんこ」だんごだと思っていたしそう呼んで訂正されることはなかった。
 今では「しんこだんご」(上新粉の「しんこ」かな、「ちんこ」では呼び名が憚れたのかな)として我が故郷および近在の「名物」となっている。ホームセンターの中や道の駅など昔のスタイルではない形で残されている。

 私の今の住まいの私鉄の最寄り駅。この駅前の「たかのチェーン」店は繁盛している。不思議なことにと思っている、隣の駅の店は同じような条件なのに売れていなかったからつぶれた。引っ越してきたとき、1本40円で安かった。それが最近60円になった、仕方がない。関東は焼き団子だなとは思う。
 いつしか、ご近所の人が道路に面する庭をつぶして何をするかと思ったら独立したしゃれた家屋をつくり、いきなり団子屋さんを始めた。この団子は大きくて、且つ米の粉だけからつくった真正の団子だ。本格的で手作りだ。1本80円。いつまでもつかと思っていたらもう2~3年にはなるだろう。これがうまい!しかも前はチェーン店の倍の値段だったが、今では大きさグレードから考えれば互角以上だ。

 このお店のことも、あの「しんこだんご」のことも知る人は少ないだろう。

1 件のコメント:

ハマタヌ さんのコメント...

私は鹿児島の血は引いているものの、育ったのが東京、神奈川で、お恥ずかし限りですが余情半さんのこんな故郷のお話を読むと、ひたすら「ええなぁ」と。

カミさんが外遊に言って早10日。もうバテバテです。限界近いです。ウルトラマンの胸のメーターが赤くなってます。
ウジなどは湧きぱなしです。今日などパートの奥さんに混ぜご飯とケンチン汁、肉じゃがを頂きました。不断だったら、この程度はできるんですが、やる気力がないんですぅぅぅ(なぜかエコーがかかる)。
そんな中で預かった子供に三食ご飯を作っている自分がいじらしい、うう。

カミさんはある意味「女のヒーロー」(ホントはヒロインだがどうみてもヒーロー)だから、私のブログも女性の「オー、行け!いい女!」みたいなコメントばっかりで・・・、えーん(泣く)。カゴマのニセは泣いたらいかんって親父に言われてましたっけ。
戦地に行った男の後ろで、モンペをはいて後方を守った母親のような気分です。死んだ親父、これ見たら怒るだろうなぁ。なんまんだぶ。ツルカメ、ツルカメ。墓をゴトゴト動かすなよ。