2009年3月15日日曜日

ニュースを聞いて


 中小製造企業の業績が激しく落ち込んでいる。が、しかし、最近の報道を聞いていると、従業員は切らないと頑張っている。頑張ってはいるが、そうはいってもパートさんを待機させたり、休業日を増やしたり、残業はもちろんない。涙ぐましい努力だが、労働者の収入も確実に減っている。それでも社長さんたちは一緒に働く従業員を切らず知恵を絞る、働いている人も納得している。そういう追い詰められたワークシェアリングが機能する。

 今年に入って「国政を操つる社会的地位のある」御手洗さんが提唱し始めたワークシェアリングはいかがわしい。言うなれば、身銭は切らずに労働者に分かち合えと言っているに等しい。そうでなくても、無権利労働者を路頭に放り出しておいて、自治体の対策や生活保護など税金で賄うなりなんなりあとはご自由にと言っているのと同じだ。そして法人税率はこの間、国際競争力とかのためにどんどん引き下げられてきた。しかも「業績悪化」で今後、事実上税金はまともに払わぬ構造になる。
 とにかく身銭は切らず、責任はまっとうしないのに、国民の間にいがみあい(ハケンを甘やかすな、ズにのるな、⇔セイキはぬくぬくしている、取り分が多い)をもちこむ小ずるさが見てとれる。

 戦争の手法にも似ていると妻殿は直感で言う。

 現代兵器はハイテクを用いてひとびとを殺傷し長く苦しめる、ひととモノと自然を破壊する。まさに憎悪的なのだが、ハイテク機器を駆使し何がしかのスイッチを操作すればよいだけで、その感覚はない、しかも悲惨さから離れていられる。あるとすればゲーム感覚だ。罪悪感が伴わないようにできている。これが、御手洗さんや奥田さんたちの手法だろうという。3000人だろうが、15万人だろうが、一瞬だろうが、正月前だろうが、数字でしかなかろうし、彼らの狭い経済構図・経営論理でしかなかろう(もっとも御手洗さんたちの言動に「罪悪感」があるとは少しも思えない)。

 その点、中小企業の社長たちがひとを切れば手ごたえもあって目の前に血をみるし返り血も浴びる。切るにもホントの実力が必要だ。恨みも買えば、後ろめたくもあろう。刀や鉄砲でひとを殺傷するには実力と覚悟がいるのが昔の戦争だ、おいそれとはできないことを知っている。

 遠隔地または鳥瞰図の中のどこかの出来事のように見えるが、実はおきていることは残忍な現代の戦場に似ている。どこに地雷や時限性の爆弾があるかわからない。現代の兵器は継続して恐怖を与え、屈服させることも目的にしている。

 「派遣切り」とは人聞きが悪いと年明けぐらいに経団連の側からクレームがついたそうだ。「契約をまっとうした」だけだというが、無権利な細切れの「契約」を選択の余地なく迫っておいて、身勝手に切ることを「派遣切り」というのだ。その言葉がよく表わしていて、ひとが生きていけなくするということを意味する仕打ちだ。

 中小企業のモノづくりの経営者たちが今度も困窮している。大企業に連鎖した売上不振、大銀行の貸しはがしだが、困窮しつつも、労苦をともにする従業員たちをいとも簡単に首にする手法を選んではいない。

 御手洗さんたちと社会に「切るな」とはその感覚を想い起こさせるために必要だ。

 いかに富と悦楽をむさぼるひとたちがいようとも、権力やお金にガードされていようとも、社会の病理から逃れることは誰もできない。このことを「反・貧困」といっている。経団連も取り組むべし。

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