2011年7月28日木曜日

夢路恋路

 「いつもご一緒で」と言われることがある。
 からかわれているのだか、うらやましがられているのだか、珍しがられているのだか、よくわからない。いつも一緒にいたくて夫婦になったのだから、いつまでたっても自然なことだと私らは思っているのだが、どうも世間ではそうでもないらしい。夫と一緒だなんて、女房と一緒なんて考えられないと言われれば、口をつぐんでいるよりほかにない。カップルはそれぞれだから。じゃ、なんで一緒になったのだろうと思わないでもないが。

 学生時代、いつもべたべたくっついていたものだからから、あるとき口の悪い仲間に「このクソ暑いのにお前ら、離れろ!」と言われたことがあった。確かにまわりは暑苦しかったのかもしれない。悪いことをしたもんだ。

 嗜好や興味がほぼ一致する。一致しなくともお互い誘ってみれば、案外一緒にできる。それで、いつも一緒にいるようになる。

 それで、この歳ぐらいになると手こそ繋がないのだろうけれども、遅咲きながらそんな感じのある人の恋路をみるのは楽しいねと二人で語り合っている。

2 件のコメント:

ゆっきんママ さんのコメント...

おはようございます♪
長年のお仕事ご苦労様でした♪
我が家もあきれかえられていますよ♪
友人からはバカップルとも言われています(笑)
手もつなぐし、お風呂にも一緒に入るし、チュッ!は挨拶代わり♪
人生のパートナーとして、いつまでも仲良くいたいですものね♪

余情 半 さんのコメント...

おはようございます。コメントありがとうございます。
忠臣蔵の小野寺十内。討ち入りという今風に言えば集団的テロ行為と切腹という不自然死をして果てます。その是非はともかく、知的で最後までつれあいどうし仲がよかったという評伝が印象に残っています。
幾山川越え継続して仲が良ければよいし、人の恋路を見守るのもまた、わくわくするものだなと感じています。
つくづく自然を超えるなどという驕りではなく、生き物としてともにありのままに同じ目線で生きていけないものかなと考えています。ヒトどうしは喜び悲しみを分かち合いながら。