2008年7月17日木曜日

20万隻休漁


昨年の今頃は営業をしていました。
 我が業界では老舗の、ある得意先の課長さんへの「魚の営業」です。業績不振に悩んでいました。このお若い課長さんには筋があると見込みました。
「目先を追うな」とかズケズケ営業していました。お互いムカムカしてやりとりしていました。それを乗り越えやっと一年が巡りホントに分かり合えるようになりました。
 が、我社ではあの「事件」の玉突きで「あなたの経験を活かして」とか云われて、担当をいとも簡単に首になりました。埃(ホコリ)ならいいのですが、誇りを落とされると人間つらいものです。めげます。


以下、内容は昨年のものです。
 表現は一部変えています。営業メモなのでやや支離滅裂調。「売れ筋」を持って来い、という期待に「説教」をもってこられたのではさすがに相手様も困られたでしょうに。不幸にもその後の進展が言うとおりになっていきましたので対話が成り立つようになりました。ほんとに不幸なことに。もちろん、新商品の案内や製造者、産地の紹介、紙面づくりの営業はやったうえでの「営業」です。

「価格と品揃え」という手段が目的化していませんか?

「紙面を拡大する、紙面の技術を改良する」という方向が示されています。その手段でそれだけで解決する道をさぐっていませんか?

食の危機は迫りつつあります、協同の力でこの問題解決に近づきたいと願っている貴社のコアな消費者の要求に応えているのでしょうか?そして新しい消費者には問題を提起、継承しようとしているのでしょうか?

エネルギーや食品の価格が上がっていることに、戸惑っていてどうしていくのでしょうか?もはや価格の値上げをどのように容認していくかという問題ではありますまいか。

「食の環境の変化」の本質を消費者とともに語り合い、協同して行動を起こすこと。
そのことが利用のアップにつながる道筋をもたねばなりません。

07年度の米価が下がります。
お米を食べていない(年間一俵=60kgも食べなくなった、ピーク時の半分)。
では、これから誰が米をつくるのでしょうか?
統計上、魚は65kg食べています(つまりいろいろな形で)。


世界中で「和食」が栄養バランスの点で評価され、魚食志向が高まり、しかも天然ものに回帰しているときに、その日本で食文化と家族の姿が目の前で崩壊しつつある皮肉。

食糧自給率は39%に低下しました。しかしながらこれは今後上がる見込み、何故か?世界での日本の食糧の買い負けはもう始まっていますから。

こんなにまぐろを食べた時代があったでしょうか?金にあかして食糧を買っていた時代が終わります。
過剰漁獲は魚の棲家を奪い、魚の子を好んで食べ(魚卵、しらす)続けたことは資源の持続可能性をも阻害し、未熟な養殖事業で海の生態系をも変えてしまいました。人間の活動による地球規模での環境悪化は魚種によってはもう再生産できないほど資源は枯渇しつつあります。

資源の短期的な過剰や不足による価格の上がり下がりに一喜一憂、品揃えの競争を自己目的化しているうちに、しかし長期的な逼迫は実はすぐそこに迫っています。

貴社には産直の米と同じく「土づくり」を標榜した野菜と提携農民があります。土づくりはすなわち健康な国土であり環境でありものづくりです。生命を維持する「食べ物」にかかわることです。中国の不祥事があるときに「だから国産」ではなくて、だから「土づくり」なのでしょう。だから日本の「ものづくり」なのでしょう。
中国の水準をあなどってはいけません。アサヒビールの農業しかり、日本になくなりつつある職人技(例えば水産加工の基本中の基本の「切身」作業能力はもはや中国の人の方に多い)など枚挙に暇はありません。

日本のお米と野菜をたべよう。このことに貴社はもっとテーマを明確にすべきです。食の基本を押さえた上での品揃えと価格は当然必要です。
お米を食べよう⇒和食のメニューに挑戦(?)しよう。⇒野菜を食べよう(貴社有機の露出)⇒おさかなを食べてみよう。⇒味付けがわからない、20分でできるレシピが浮かばない、味付けのできる素材が少ない、赤ちゃんには骨が心配、などの組合員の要求に応えよう。⇒どんな魚がどこにいてどんな魚であるのか、誰が漁獲をし、どんなひとが加工(家庭の厨房を工場で肩代わり)しているのか、今は一方的発信でも双方向的な受発信をめざしていかなければ、恐らく何年経っても「売り場」でしかない紙面に終わります。

 我がグループの無店舗供給の水産部門は「不確実な計画数量」を「特定の短期間に」「一過性的大規模調達」という特性をもつために、大量調達可能な水産資源と備蓄可能且つ瞬発的製造能力が可能な品目しか品揃えできていません。したがって、日本の遠洋漁業そしてそれに替わった大量輸入時代に対応してきました、また国産も大量漁獲(過剰漁獲)ができた沖合漁業に対応できました。それらにのっかってきました。技術的には大規模冷凍保管加工運搬技術の進化でありましたし、労働力はかつての地方漁村の安価な労働力(高齢化していました)から、80年代に韓国台湾から東南アジアに移行し90年代後半から中国に依存を始めました。本来お母さんが赤ちゃんのために、子が年老いた父母のためにとっていた魚の骨とりを、工場で他国の若い女性の作業に依存しています。いずれも、遠からず、必ず限界のくる内容なのです。

 四方を海に囲まれた国土においてまだ持続可能な漁法が続いているのは沿岸漁業であり、いわゆる「お魚屋さん」に並ぶ魚種、品目(ラウンド、ドレス、三枚おろし、切身、干し、漬け物、など)、これらには季節があり、漁獲はつねに不確実です。多量とはいえないけれど、超大規模ならともかく、普通の規模ならば充分に足る量です。そのために生産者(地域漁協)加工者(産地または技術を集積している専門事業者)との関係を構築しなければならないと展望しています。これは、難儀でこちら側の組織としての人格力が必要だと思います。もちろんこちらの「器(うつわ)」も作り変えなければいけないでしょう。「価格と品揃え」だけでは追求できません。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そう、マグロなど無理して喰うことはない。遠海魚を杖場いい。そして規格からはずれた大量の沿海魚をどうかせねば。
熊本の魚のハネ品を使った「もったいない屋」はおもしろいですね。こんな魚と米、野菜と少々の畜産品からまっとうな食が出来ると思います。

匿名 さんのコメント...

すいません、ミスタイプです。一行め「遠海魚」ではなく沿海漁です。意味が真逆になってしまった。次は「食べればいい」です。