2008年7月9日水曜日

えびの記憶の断片


 私はえびの仕入担当をしませんでした。80年代日本はバブルに入っていました。90年代初めに日本はヨーロッパ、アメリカを抜いてエビの輸入量が世界一になったことを覚えています。たしか30万トンを越したと記憶しています。30万トンというのは、あじ、さば、さんまのような馴染み深い魚の消費量に相当します。飽食、つまり食べ余していたと思います。さまざまな「つじつまの合わないこと」を見聞もしていました。
 えびというのは伊勢えびとか甘エビとか桜えびとかいろいろありますが、主には車えびのような種類のことを指します。当時好まれていたのが、商業的には「ブラックタイガー」とか「ホワイトエビ」とか呼ばれていた種類です。
 87年に営業で初めて台湾・タイ・インドネシアを見学する機会がありました。このとき既にえび養殖によって台湾の産地は壊滅状態でした。病気の蔓延です。地域全体が文字通り地盤沈下、田→池→荒廃、使いものにならなくなっていました。この台湾の方式をちょうどタイに輸出し、タイで華僑資本によるえび養殖が隆盛を迎えるときに遭遇しました。バンコクの周辺、タイ南部のシャム湾(風光明媚なところでした)。インドネシアは始まったばかりでした。集約養殖をしようにも資本蓄積がなく粗放でせざるをえないインフラでした。そこでは台湾の飼料を輸入して使っているという養殖業者は胸をはっていたのが印象的でした。

 当時の我社グループの命題は「生鮮強化」でだれでも国内仕入はできるんだから(?)、我社の役割は国内やっていても意味がないということで、輸入水産物の扱いの拡大を指向していました。事業的観点のみの発想でした。
 急激な円高、世界的な過剰漁獲・漁場乱開発、魚食は日本人の専売特許、という環境でした。買いたい放題でした。ただ足元では日本列島のまわりの資源枯渇化、魚種交替が忍び寄っていました。そのことを肌で感じていました、将来の危機のことも。

 私は国内ものを扱えるということで「青物」を志願してやっていましたが、皮肉にもヨーロッパのあじ、さば、ししゃもの類を調達することになりました。

 その後もタイや中国のえびに関する惨状を聞く機会にたちあいました。90年代半ばだったと思いますが、中国大正エビの養殖が国内南部から始まってあっというまに中国で壊滅しました。そのころタイもバンコク周辺を手始めに、壊滅がはじまっていました。地域に残ったものは荒廃でした。かつて水田であった池は使えなくなり、大規模な加工場の操業は周辺の産物によるものではなく、閑古鳥状態でした。
 当時私が遭遇したのはそういうエビの荒廃と哲学もなく刹那的な仕入れ、また、あけすけにいえば不正の断片も垣間見ました。私自身にも反発だけや不当性を嫌う反面、確固たる哲学がありませんでした。


 現在、えびでは「バナメイ種」(南米原産)というのがとびかって、病気に強いだけの味もそっけもないえびをいかに安く大量に売るかということに血道をあげ、昨今の「買い負け」「産地生産力の低下」のため昨年あたりから再び破綻し始めているようです。

 もう仕事とは関係ないのですが、経験をさせてもらったことがあるので、勉強しなおそうと思ったりもしています。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

勉強になりました。私のブログで紹介させていただきました。ありがとう。
拙ブログにもたまにいらっしゃって下さい。

余情 半 さんのコメント...

いや、みなさんのところに行っているのですが圧倒されてまして・・・。はい。なにしろ本旨と関係ないことを書きたがるもので。