2011年1月13日木曜日

種子島紀行Ⅴ

ひかり農園

 茶園訪問の次は島をずっと南下する。初日から見た光景だが、今日も沿道のガードレールに2本に組んだ大根が干してある。場所を専有するように。陽がよくあたり風は冷たい。丸干しにするのだろう。それで、公共物であるガードレールにあんなのありかと、訊ねる。当局からのお咎めはないようだ。それどころか、もっと高さを調整してほしいと願い出た人もいたそうだ。こんなところにすらこの島に伝統的なおおらかさが感じられる。本土の薩摩側でやろうものなら。それこそ「おい、こら」だろう。

 中種子町にあるひかり農園を訪ねた。いかにも園芸農家の農夫らしいいでたちの当主、光 時信さんが淡々と応対する。大きくてりっぱな園芸ハウスと露地栽培の畑で、自宅の周りに「まだあるの」というぐらい園地がある。冬に温度を保つためにか封鎖していたハウスの入り口をわざわざ解除して、みな恐縮しながら中に入れてもらう。栽培のことは私にはよくわからぬが、ツアーのメンバーたちはいたく農業に造詣が深い。なるほど、ほう!の連発だ。見ればみるほど、聞けばきくほど「これはプロだな」の感嘆。種子島は渡瀬ラインの北にあって温帯圏であると学校で習って機械的に呑み込んでいた私にとって、亜熱帯系の植物や作物も交錯するように育ち、また栽培されるのだなということがわかった。それでも、さすがにドラゴンフルーツやスターフルーツやマンゴーなどは露地栽培とはいかない。丹念に接ぎ木をしたり蔓を棚に這わせたり相当の手間ひまがかかっているなと私でもわかる。実生からも育てる技術を持つ。ドラゴンフルーツの花は夜(夜の9時から朝の6時ぐらいまで)咲くらしい。「受粉してから何日ぐらいで咲くか」という問いが銘々から3回続いても「50日」といやがらずにさりげなく答える。

 「ほら、もってけ」「食ってみろ」という感じで無造作に、成っているスターフルーツやドラゴンフルーツをもいでナイフで切って食べさせてくれる。お金に換算するのもなんだが、買えば正真正銘の国産品となれば結構高価なものだ。むしゃぶりつく。ハウスを出たところで、つれあいが、なんだその顔はという。なんだと言われてもと応えるが、口のまわりが赤紫色になっているらしい。ドラゴンフルーツ(赤)のせいだ。そんな食べ方する人いませんよと言われる(実は、もう一人いたらしい、クスッ)。季節柄なにもなかったがハウスのブドウ園は経済的には主力商品のひとつかなと考えた。ぶどう狩りもできるだろう。ほうれん草には塩を撒き、そして水を撒くという育て方をするらしい、そうするとアクがとれるらしい。食べてみれば実際、甘い。そのことは翌日昼食をとったお店でも聞いた。自分で漁をした魚と直栽培の野菜を素材にすることが自慢のお店だ。ほかにはパッションフルーツ、パイナップル、アセロラなどなど、まるで植物園を訪ねたようだった。外の庭ではカシューナッツの木というものを初めて見た。
 薩摩は奄美を支配したときに苗字ある家には一文字しか認めなかった。光さんは奄美大島の隣の喜界島からの移住者だと聞いた。
 好きに食べていいといわれたので最後に裏庭の枇杷をもいで食べ、八朔は宿で食べようともいだが、機会を逸し結局持ち帰ってきた。思い出の八朔だ。そろそろ食べようか。

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