2009年1月25日日曜日

なんでも


 年が明けてから、胃だ、大腸だ、にポリープがみつかった、とらなきゃならない、再検査だ、という話を立て続けに知人3人ぐらいから聞いた。そりゃ、「癌だ」なんだ、「癌に決まっている」とか、つきあって生きていけばいいとかは他人の言い草。リスクが考えられる、当の本人にとっては恐怖だろう。

 人生40年も50年も過ぎて、癌などのリスクは大きい。DNAに組み込まれていたりして地雷原を行くようなものだ。

 50という歳を「あるところ」で越して何年か経った。この経験は強烈だった。型にはまった人生を歩んできて給料日には増えることのなくなって久しい減少気味の給与が入る。「食う、寝る」には困らぬ生活をつくってきた、人並みの子育ても終了した。

 サザエさんのお父さんは54歳という設定、定年前。その時代は55歳定年制が一般的で60歳代が平均寿命だったそうだ。今は養生や運がよければ80でも90でも100までも生きられる、生きやすいかどうかは別にして。その波平さんの歳を越したが風貌も似たようなもので、群れず離れず平穏安寧、人畜無害。

 世のため人のためと考えて仕事に就いたが、いつのまにか多量消費システムの中の生けるマシーンに組み込まれたともがいている。考えていた「豊かさ」がずれてきていた。「社会」も脆そうに感じる。自分たちが食うに困らぬ給与をもらうためにしがみついてきたが、食うに困らぬというよりも生きるに困るようになった。気づいているが、お金がなければなんにもできない。それでいいと思っていた伏しがあるが、「木を見て、森を見」ているつもりながら「林がわからない」。ときにはミイラになったり、重箱の隅で迷子になったりしている。

 「なんでもみてやろう」は古いフレーズでその作者も一昨年亡くなった。いまいちど遅ればせながら、そうしてこなかった人生を広げなくてはいけない。まじめにはたらく側の立場の目線これだけは変えない。引っ込み思案を私なりに無理をせず変えていこう、なんでもきいてみよう、みてみよう。もう一度考えよう。

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