2011年6月19日日曜日

種子島再訪記 1



 韓国の人と日本人の価値観の違いに、焼き物の器の形への評価があるらしい。前者は左右対称きちんとした形でなければならないのに対し、日本人はちょっとこうゆがんだような不揃いなところに美というか安心感を見出すというようなところがあると何かで聞いたことがある。

 旅の記念に私はなにがしかのものを買い求めてくる。それが焼き物ならなおさらだ。でも、初めて長野さんに陶芸家の野口悦士さんのお店につれていってもらったとき、どうしようかと思った。初めてみた種子島焼きというのは釉薬を使ったものもあったけれども、ほとんどが焼締めで、且つ器の形も芸術的というか実用性においてどうなのだろうかと考えてしまった。表現すれば有史以前の土器のようにゆがんでいる、敢えていえば完成形でないようにみえた。淵が欠けているようにも見えるがよくみればそうではない。飾っておくのならいいが、日用使いにはどうなんだろう。それで、おっかなびっくりでつれあいが気に入ったのを1個だけ買って帰った。それが半年前のことだったのだけれども、これが使ってみて案外気に入った。形がかたちで使い途がわからなかったのだけれども、そこは勝手でコーヒーを飲んだり、お茶を飲んだりしてみれば心地いい。そんなことで存外、実用性もあった。そんなことで、ふたりとも気に入ってしまったけれども、ひとつしかなかったから、種子島再訪の折にはお店に立ち寄らせてもらって、そして、もし残っていればまた1個買い求めたいと望んでいた。

 5月の末の種子島再訪では、メインの日程が1日がかりで馬毛島を訪れる予定だった。ところが、台風に遭遇してしまい断念せざるをえなかった。予定されていた日程はすっかり狂ってしまった。そういう意味では、日程に選択の幅ができ、長野さんの粋な計らいなのか、希望を言ったことへの配慮なのか、最終日に再び野口さんのお店につれていってもらった。それとも、最初からの予定だったのかな。朝おにぎりを用意し、お店では観光ボランティアをしている年配のご婦人方に種子島料理を用意していただいていて、民家風の広いお店の中でみんなで昼食をとった。

 野口さんのところには、お店と登り窯と工房がある。そこは少し高台になっていて、吹き抜けのお店からは北西の方向に海が展望できる。両側の森を挟んで遠くに見えるので、海は逆三角形のように見える。まるで風水で計算されたような立地で、ここにいれば気持ちいい。

 数日後には、石橋寿惠子先生から主催するDance Troupe「Earth-Be」の公演に招待されていた。それで、ご挨拶に花をとも思っていたが、野口さんの焼き物に相応しいものがあったらそれにしようとも考えていた。そうしたら、つれあいが気に入るものがあって小さな器を買い求めた。ちょっといいものだったと思う。ならば、若い作家先生に画像メッセージをということで写真を撮らせてもらった。右上の画像はそういう意味で多少“やらせ”っぽい。

 昨年買い求めた焼締めのものはもう無くなっていて、ただちょうど同じ形の釉薬を使ったタイプが1個あったので迷わず買い求めた。それでようやくペアになって、今はそれをふたりで楽しんでいる。日によって取り換えっこして。まるで温泉宿の女湯と男湯が日によって変わるように。それと、皿として使える容器も今度はペアで求めた。形は一緒ではない。使ってみると、なんでもない調理品が生える。これが器というものなのだと思ってしまう。今度、これらの器を息子の友人で韓国人のユゴン君に見せてみようと思う。

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