2010年11月28日日曜日

紅葉の小江戸


 「私は東京の丸の内でパンプスを履いて働きたかったのよ」ということを初めて聞いた。
 下の姉は高校を出て東京の企業に就職した。母校からは初めての就職先であったらしく、同じ高校からは三人がその企業に勤めパイオニアとなり、その後、後輩たちが続いたらしい。姉が言うには、そこは東京の郊外でまだ都市化が進んでおらず町育ちの姉にはとても不便なところであったらしい。聞けば、ゲゲゲの女房が結婚して「東京」に出てきた状況とまるで同じだ。専門力のあるその企業は今その業界では世界的企業になっている。そこのOBの同窓会があったといって上京し帰りに我が家に泊まっていった。かれこれ40年ぶりだったらしい。その興奮もあってか、もともとおしゃべりだったのかよく話した。何かこう久しぶりに実家に帰ったときの、長い一人暮らしの母親のよくしゃべる様子に似ているなと連想した。やはり母に似てきた。東京では三畳一間の共同流し共同便所のアパート暮らしで家賃3000円。すぐ横を電車が通りよく揺れるようなところだったらしい。製造工場で朝が早いという薄弱な理由でそこを辞め、執念で「丸の内」の職場を見つけたらしい。そうしているうちに、若者同志で企業を立ち上げるというので粋に感じそれに参画しそこで義兄に出遭ったという。高校のときは演劇部にいて、何かそういうこともしたかったらしくその方向も追い求めたがかなわなかった。10歳近くも離れた姉のことで知っているようで知らない。両親は上級の教育を受けさせたかったらしく、毎夜説得していたが、姉はとにかく東京に早く行きたかったのだろうか泣いて抵抗して、結局親が折れた。あのころの断片的な記憶がずっと頭の中にある。姉がいなくなって、兄姉が使った代々の勉強机とたたみ1畳ぐらいの「勉強部屋」を占有できるようになったときの、うれしいような寂しいような春のことを覚えている。

 我が家の今が盛りの紅葉とつれあいの手料理を堪能してもらい、今日は日柄もよく、小江戸見物と洒落込み、長男に紹介してもらったお店の懐石を三人で楽しんだ。私の姉だけあって歩くことを苦にしない。本日の歩数12,877歩。

 沖縄知事選では、伊波洋一さんは及ばなかった。日米安保条約を平和友好条約に転換させるという機会はひとたび足踏みすることになる。伊波さんは有徳の人材だ、幅広い支持層とともに淡々とこのことの追究を続けることだろう。勝てなくとも負けることはない。北朝鮮の無法な砲撃と原子力空母ジョージ・ワシントンが黄海に出動する事態は北朝鮮にも沖縄にも軍事的意味合いからの影響を及ぼした結果になった。

 NHKBS1では明日23:00からシリーズ「ベトナム戦争」が始まる。

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