2010年2月24日水曜日

春の陽気


「三寒」のゆるんだ「四温」になって外は暖かい。午後から用事があったから、いっそのこと休んでしまった。春が来ている。こんなときには父とのことを思い出す。

小学校までの道順は国道沿いをひたすら真っすぐ(北へ)行けばよかった。そして文房具屋さん駄菓子屋さんのお店を折れて行けばやがて学校はあった。だから、とくに迷うことはないと心得ていた。幹線道路で車が多いといっても、基本的には歩道があって危険だとは思わなかった。ただ、途中に小川があって古くて小さな橋があった。「暮橋(くれはし)」と呼んでいたが、車が通るたびにガタガタと上下に揺れた。道路のネックになっていてこの橋と前後には歩道がなかった、思えば危険な箇所だったといえる。

義務か気まぐれか気晴らしかしらないが、学校にあがる前の私を父が小学校までの道順を案内してくれるということになった。それは単に国道沿いの表の道を行くのではなく、人の家の横を通ったり、少し国道をはずれればそこは一面田んぼだったから、あぜ道を行ったりする裏道だった。田んぼにはスミレ、小川にはミズスマシやメダカ、水はちょろちょろと音を立てて流れていた。小川を越すにはどれかの橋を渡る。だから国道沿いの橋ではなかった。「よかか、こげん行っ方もあっど、覚えちょけ」決して近道にはならずいわば迂回路だったろう。こう行った方が安全で楽しいとでも言いたかったのだろうか。我家は校区でははずれにあったので子どもの足では遠くて、たいくつだったから。

今日のこんな陽気につられて、父とのこのひとコマを思い出すことがある。
父の子のせいか私は人がみんな普通に通った道をあまり好まない。

ところで、つながりの大切さ、ひととのつながりのために自分は何ができるのだろうか。

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