2010年2月13日土曜日

きずな

 湯たんぽにお湯をいれて用意ができる、ひとつ年上だからお先にと譲られる。

 父母兄弟の愛があってこの世に育った、幼ななじみ、友人、先達たちのおかげで今がある。それにも増して、このひとを射とめ家庭を築かなかったら味気ない半生になっていたかもしれない、ひとはそれぞれだが、少なくとも私はそのことによって幸せというものを感じている。

 やっぱり「絆」だよなぁとしみじみ思った。今日は特別の日なので朝一番で隣町に映画を二人で観に行った。駅の西友は24時間営業だ、立ち寄って明治アーモンドチョコを2箱買う。狭っ苦しくない映画館でよかった。昨秋「人間ってなんておもしろいんでしょう」という山田洋次さんの人間への尽きない興味と自らの生い立ちの話をきいたばかりだった。この人は作品の中に必ず日本の四季をいれる。そして愛すべき地域という姿を描く、「通天閣に月」それすら美しい。なんていい人たちはいい人たちなんだろう。
 施設からの弟の危篤の知らせに吉永小百合さん演じる姉が「とうとう死ぬときがきたのね」と言う。映画「それでもボクはやっていない」で冷たい判決を読み上げて判事を演じた小日向文世さんが、今度は民間ホスピス<みどりの家>の暖かい所長の役を演じていた。石田ゆり子さん演じるヘルパーさんが、私の母の最期のときを一緒に看取ってくださった人たちの姿に重なる。ちょうどおんなじ感じのこころ暖かいひとだった。ひとの最後を「居てくれて楽しかった」「よくがんばったね、お疲れさま」と安らかにおくってくれる、そういうひとびとの働きも描いてあった。つながりだ、きずなだ、地域だ、と理屈をいくら捏ねてはみても、こうやって描くことは難しい。芸術ってすばらしいことだなと考えた。映画『おとうと』山田監督の映画がまた深化した。観るべし。

 今日はぜいたくをしてほしい日なので、頻繁に行くわけではないが贔屓にしている天麩羅屋さんでお昼ご飯。互いに見合えば、泣き過ぎたようで目のまわりが紅潮して少し腫れぼったい。最近若い息子さんに代替わりしていたが、今日は先代が揚げていてよかった。カウンターに座り、目の前で揚げてくれるのを順繰りにいただく、これがまたいい。

 「活舌」これを女優の有馬理恵さんから、今日は学んできたらしい。最初だから「いえあおう」ってあれ。合唱のお勉強は楽しい、帰りには「ハッピー バースディ トゥユー」を唄ってもらったらしい。

 夜は息子も駆けつけ、「自然食」を謳うビュッフェ方式の今流行りのレストランに行き誕生日を祝う。この人が幸せに思うことが「幸せ」であるとかみしめている。
 楽しかった一日が過ぎる。
  *この小さな鏡台は35年前の「愛情の形」

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