2011年9月18日日曜日

本当に怖い話と向き合うこと

 政府もNHKも新聞も本当のこと(核心)は言わない。

 最初のころの「10年、20年は住めないな」発言、そして最近の「死の街」発言。住民当事者の心情を考えれば忍びないことだが、何をどう糊塗したとしても事態をありのままにとらえれば決して間違いではない。

 むしろ「死の街」とは、住民自身が県外の人に伝えてほしいと願ったことだとも聞く。

 核燃料のメルトダウン状態。

 今、何がどうなっているのか。みることはできない。しかし、どういうことになっているのか、仔細はともかくおよそわかっているはずだ。わずか半年の月日が過ぎて、まるで収束に向かっているように思い込ませられているが、目をそらされているだけだ。

 人類史的な深刻な状態である。危険な事態であることにさほど違いはない。

 来年あたりを目標に家に帰ることができるようにするという地元自治体のことが報道されているが、仮に自治体関係者にわかっていない人があったとしても、専門的に追及している報道関係者や専門家にはその無理(危険性)がわかっているはずだ。

 生命や身体に及ぶ被害を与えておいて、その本当の危険性を知らせない。それどころか事故を過小評価し被害を矮小化する。幻想をすら抱かせ責任と義務をはぐらかす。

 これは「本当にあったどこかの怖い話」ではなくて、現在進行形の身近の「本当に怖い話」のことである。

 政府もNHKも新聞もそんな報道はしていないわけだし、収束にむかっているようだし、まっ、電気がなくなって不便になるのもなんだから、点検が終わったら原発も再稼働させたらいいんじゃないと思っている人たちが多い。その人たちとの溝ができている。

 現実に福島の人たちには影響がでている。子どもたちをどうすればいいか。
 それなのに福島の人にしてみれば、見捨てられているような気がするという状態。あたかも県境に「柵」を感じ、そこからでるなという感覚があるという。そして、さまざまなジレンマで声もあげられず、悶々と苦しんでいる実情。

 だから、まずは事実を認識しフクシマを思い描くことでつながり、私たちがまだまだ変わらなければいけないと鎌仲ひとみさんはいう。

 私は名もなき個人、さっ、明日も東京さ出かけよう。さわやかな弁舌も何の影響力も持ちわせぬが、自分の声をあげよう、そして歩こう。原子力ムラの者どものために、今と未来永劫をも支配される不条理を変えて行こう。

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