2011年5月22日日曜日

身近な恐怖

 つれあいは今、松江に行っている。ぶらりと出発した新婚旅行先の一つだった。思い出の地だ。できたばかりの国民宿舎を前日の旅先から予約して泊まり、どこか歩いて行って確か夕食にはおでんを食べた記憶がある。つれあいは何も覚えていないという。いいところだけれども、再訪して思い出すものはなにもないと言ってきた。その県庁所在地である松江にも島根原子力発電所がある。

 1995年1月の阪神淡路大地震で兄は財産に甚大な被害を蒙った。阪急電車の高架がひん曲がっったように人生も狂った。家族の命に別状があったわけではなかったが、その後義姉がうつ状態になったりした。あれほどの激甚な地震に遭遇したら恐怖は忘れられないだろう。ところがその2年後。1997年の3月と5月に今度は故郷で大きな地震が起きた。鹿児島県北西部地震(川内地震)という。実家は戦後まもなく建てた家で、母が独り暮らしだった。兄に続いて母までもかと思った、えらいことになったと心配した。しかし、周辺では相当の被害があったにもかかわらず、実家も母も大事にはいたらなかった。震源がもう少し南にずれていれば危ないところだった。そしてそれは川内原発にも言えた。しかし、九電は原発を止めなかった。印象には残ったが、月日が経つにつれ記憶が薄らいでいった。

 うかつだった。これほどのことが身近に起こっていながら、これまで地震のことも原発のことも無意識に考えからはずそうとしていたように思える。一過性のことのように。そうではなくて連関しており、現実にこの列島は「大地の激動期」が始まっていた。そしてついに、このたびの東日本大震災でつれあいの家族に犠牲者がでた。1月に会ったのが最後になるとは夢にも思っていなかった。併せて原発にも危機が迫っていた。どこで今回の「フクシマ」が起きても不思議ではなかったのだった。どこに行こうとも、逃げようがない日本列島になっていた。
 どれをどう考えても原発はやめたほうがよい。もちろん核兵器は言うに及ばず。

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