2011年1月13日木曜日

30年目の今日という日


 今朝はいしいひさいちさんが描くワン公をデザインしたネクタイ(by STUDIO GHIBLI)をしめる。いつか娘からプレゼントされたものだ。そして今日からオーバーコートを着用する。

 昨夜0時を回ったところで「おめでとう」のメールを送る。毎年これを送るのだが、自意識過剰なのだろうか無視される。それで「失礼なやっちゃ」と放っておいた。ところが、今年はすぐ返信がきていたようだ。「30周年になります」、ありがとうの絵文字付きで。

 2歳違いで2人目が女の子で生まれたときは喜んだものだった。かわいらしい顔をしていて、二人でやったねと顔を見合わせた。感受性の強い子だった。おしゃべりを始めたころは、出てくる言葉がまるで詩人のようだった。それから、幾星霜、私のせいだか、私に似たからか、素直でなく成長してしまった。大人に成りきれていない。自立を促し今は一人暮らしをしている。「うちのおんなトラさん」と呼び、みなで機嫌を損ねないように、その気まぐれに付き合っている。

 学校を出て資格をとった。就職したが、事実上の派遣労働者だった。振り返れば就職氷河期の最中だった。最初のわずか3ヶ月だけ自転車で通えるほどの自宅に近い職場だったが、すぐに配置換えになった。交通機関もなく自転車で一時間以上もこがねばならない。朝番のときはまだ暗い4時過ぎには出勤せねばならず、では早く帰れるかというとそうではなかった。20歳過ぎの女性には危険も伴い、ぐずぐずしていた自動車免許を大急ぎでとらせた。長時間で過酷な労働だった。だからといって一時金もなく収入がよかったわけでもない。一緒に入った同僚たちは次々と辞めていったが、娘は最後まで残った。
 つれあいはいつも心配で毎週日曜日に入る折込みの求人広告に隅々まで目を通していた。いつか、たまたま条件に合った募集が一人分だけあって運良く採用され晴れて並みの正規職員になった。それから何年か経つ。男性もいる職場でそのうちよい話でもあるかと思っていたがその気配はない。好き嫌いが多く、肩肘張って生きているようだから寄り付くものも寄り付くまい。誰に似たんだか…。

 中川誼美さんの『ちょっと前の日本の暮らし』を読んでもらおうと思うけれど、まず読んでくれるだろうか、わかってくれるだろうか。肩のちからを落として、ひとの力を借りて、そして貸して生きていかねばならないし、それでいいのだよということを。

 今日もどこかでお祝いの食事をしようと誘うが返事も寄越さない。今年も独りぼっちでいるのかなと思ったら、7時前にひょっこり訪ねてきた。こっちも帰宅したばかりだ。あんまり夕食は食べたくはないけれど、自分に誕生日ケーキを買ったので一緒に食べようということらしい。そうは言ってもということで大急ぎで夕食を準備する。♪ハッピーバースデーをやって食事。じゃあ、ということで最近買ったばかりの「男はつらいよ第1作」(『寅さんDVDマガジン創刊1号2011年1月6日』)を一緒に観る。

 昼休みに紀伊国屋書店で物色をしていて何かプレゼントを考えていたのだけれども『寅さんから学んだ大切なこと』(2010年09月刊 皆川一著)がよくて、ラッピングしてもらった。皆川一さんは渥美清氏の元付き人。筋と人間味の通った渥美さんの生き方を、そして人への思い至り方を軽妙に平易で且つ印象的な言葉で伝えてくれる。まずは、今の娘にふさわしいなと考えた。「寅さん」はたまたま重なっただけ、DVDを観たのは成り行きで偶然。プレゼントを用意しておいてよかった。会えないと思っていたから、帰りの電車で今日どうやって渡そうか、アパートの郵便受けに無理やり押し込んでおくしかないなと思案していた。思いが通じたのか、手渡しができてよかった。『ちょっと前の日本の暮らし』はその次にしよう。

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