2011年1月24日月曜日

種子島紀行Ⅵ

 中種子町の街中らしきところに入る前を逸れて行きますと旧種子島空港の跡地がありました(空港を二つもつくったのですね、この島は)。その脇に次の目的地であります「薬用植物資源研究センター種子島研究部」がありました。独立行政法人医薬基盤研の一研究センターで、全国に4箇所あるうちのひとつでした。二瓶さんの事前資料によれば、「種子島は他地域と比較し、南限・北限の植物や希少種が多いものの、諸開発に伴い絶滅・減少しています。この中には薬用植物もあり、入手し、保護策を講じている、有益な薬用植物の研究現場」であるそうです。
 休みにもかかわらず研究員の杉村さんが案内してくださいました。私たちのメンバーは農業、植物に興味があり、そして生命に深い思いのある人たちでしたので、杉村さんたちの長いスパンの研究に理解を示すことができたようです。帰京後、二瓶さんを通じて杉村さんから「みなさんに、種子島研究部で保存している熱帯・亜熱帯性植物を中心とした有用植物資源を保存する重要性を認めていただき、とてもうれしかったです。また、自分か関わっている仕事の重要性を再認識しました。」という率直な「お礼」のメールをいただきました。私に理科ができて生き物を観賞したり観察したりする能力や性格があったら、こういうところでそういうことに没頭できる職業人生もいいなと思ったのですが、所詮は「隣の芝生」かもしれません。短史眼的に事業の縮小にさらされているもようでした。この国から基礎的研究というものがどんどん削られて、明日の成果ばかり求められている姿がここにもありました。

 さて、種子島は黒潮と台風の通り道で、船を使えば情報は早く、また難破船の漂着も多かったようです。鉄砲伝来で有名な島ですが、もとはといえば南からの貿易船が漂着したことがきっかけで、なお且つその武器伝来の話(情報)は翌年には紀州や堺に伝わっていたといいます。陸路とは比較にならないほど早く行くことの出来る海の道があったようです。当時、鉄砲を再現し応用させることができる製鉄と技術があって、またたくまに戦争の道具として戦国の武将達にひろまったようです。
 
 カシミヤ号漂着から10年後の明治27年(1894年)にもイギリス船の難破漂着がありました。このときも島の人々はこれを救い世話をしました。そのときのお礼にと船で食用に飼っていた鶏を残していきました。それを「インギー鶏」と呼び今に伝わっています。この呼び名はイギリス人のことを当時「インギーさん」と呼んでいたところからきたものです。島の南に下り、その名物のインギー鶏を昼食にいただきました。最初はしゃれたペンション風のホテルらしきところに着いたのですが、ここではなくて次に南種子町役場、南種子町高校近くの「美の吉(みのきち)」という食堂に案内されました。こちらの女将の陶山さんは、実はここの町会議員さんで西之表市会議員である長野さんのよき先輩でもあるらしいのです。日の当たるポカポカした部屋で、焼き鳥定食、陶板焼き定食を注文。定食には名物のにが竹と鶏の煮物(「竹取物語」という洒落た名前)と生姜のきいた薩摩汁などがセットなのですが、鶏は評判どおりのなかなかの味でしたね。それと、国道沿いに干してあった大根の丸干しと思しき漬物がみなの舌に合い、お代わりを所望したら山盛りでいただきました。先のホテルの方も娘さんがやっているとのことでした。
 食後、陶山さん自身が飼っていらっしゃる養鶏舎と畑を見学させていただきました。400~500羽は飼っていらっしゃるそうです。今では、そういう生産者が22名ほどいるらしいとのことでした。この難破船「ドルメルタイン号」ゆかりの地にある花峯小学校にはこの鶏が飼われておりまして、道路沿いから見ることができました。

 古代、日本列島には大陸と南島から文物が伝わってきたそうで、この島には「赤米」が残っていて貴重なものであるらしい。赤飯のルーツではないかと言われていますが、食べるには硬いもので、「黒米」とはまた食感が違います。それを伝承する「赤米館」というところを訪問しました。北の畑作丘陵地帯に比べて島の南は米作地帯であるようです。この近くの神社には、西南戦争時に出征した種子島士族の顕彰碑が建立してありました。ここぐらいでした、やっと鹿児島県を実感したのは。どこにも鹿児島弁はほとんど聞かれず、言葉も開放的な気質もずいぶん違うなと内心感じていましたから。
 これから、北へ向かうのですが、時間をとって宇宙センターに立ち寄りました。長野さんはやっぱり見てもらいたかったのでしょう。見晴らしがよく広大な土地を使うものだなと思いました、とても風光明媚なところでした。みんなで記念写真を撮りました。

 島の南端へ来ましたから、こんどは一路北上しました。それにしても、ちらりと右側に見える海岸と砂浜の海の風景は美しい。暗くなってきたころ、西之表市内のお菓子屋さんに着き、コーヒーブレイク。店主は酒井さんとおっしゃるのですが、この人も結婚で鹿児島市内から移って来た人でした。種子島特産の黒糖、さつまいもなどを素材に和洋のいくつもの商品を開発されていました。

 このツアーの主たる目的は、「本場の本物」認定品目である「沖ヶ浜田の黒糖」づくりを実地に見学することと、その沖ヶ浜田黒糖生産農家のみなさんとの交流をすることでした。ようやく沖ヶ浜田の民宿に到着し、早速鍋を囲んでお話をうかがい、夜まで過ごしました。そのときの様子を当ブログ「誇りある島Ⅱ」(12月23日)にアップしています。

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