2011年1月23日日曜日

いとこのケンちゃん

 1か月前のことはなかなか思い出せないのに、50年近く前のことのある断面は覚えているものだ。加齢を重ねている。

 巣鴨の叔父の49日の法事があって参列してきた。集まった人たちは身内であって他人ではないはずだが、最初は誰が誰だかわからない。叔父や叔母と40年ぶりぐらいに再会する。最後に会ったのは君が高校生のころだったかなと言われる。その他にいる初老の人たちはほとんど従兄弟達らしい。東京のイトコ達だから小さいときに会ったぐらいで、あまりわからない。

 故郷のイトコは6つも9つも年上だったので遊ぶことはなかった。東京には同い年のイトコが二人いた。ヒロシちゃんとケンちゃんだ。たまに、叔父さんや叔母さん達が帰ってきて、おばあちゃんの家に泊まっていた。地元の私が泊まることはなかった。

 私は人見知りだったので、叔父や従兄弟の前に出るのは苦手でいつも二階から降りてこなかった。第一、東京弁をしゃべる従兄弟には気後れした。いとこ同士だ、仲良く遊びなさいと言われてもなじめなかったが、ケンちゃんは違った。たぶん田舎に来て退屈したのだろう、同い年の私に積極的に遊ぼうと誘ってきた。引っ込み思案の私でもケンちゃんと遊ぶうちに打ち解けてきた。毎日の夕方「ちろりん村とくるみの木」を欠かさず見ていたのだが、ケンちゃんはこちらのチャンネルが少ないものでつまんねぇと言って、テレビから引き離されたことを妙に覚えている。東京にたくさんのチャンネルがあることがよくわからなかった。民放は一局しかなかったから。ケンちゃんのほうが体を使って遊ぶ子供らしい子で、私は本やテレビが好きで子供らしくない子だったと思う。レスリング遊びをして組み伏せられた。腕力の強いイトコだった。たぶん夏休みのことだったのだろう、楽しく過ごしていたのに、消えたようにいなくなった。もちろん東京に帰っただけのことだけど。取っ組み合いをするような兄弟もいなかったので、そのケンちゃんと楽しく過ごしたことがすごく印象に残っていた。

 昭和ん年生まれですよねと話かけて、あのときの従兄弟だとわかった。
 小学校三年生のときのことだったそうだ。それ以来、そういうことで行ったことはなかったそうだから。後日、叔母さんからレスリングをやっていると聞いたことがあったが、高校時代やっていたそうだ。さもありなんという上背だった。

 こちらはさかんに、いや懐かしいと語りかけるのだが、謙次さんは少しも覚えていないらしい。もの静かな初老の紳士になっていた。

2 件のコメント:

ゆっきんママ さんのコメント...

引っ込み思案だったんですか~?
あっ!子どもの頃のお話ですね♪(笑)

余情 半 さんのコメント...

人間いろいろな側面があるとは思いますが、三つ子の魂ですかね。未だにそう。
まず、つれあいがやってみてよかったと言ったら、そうですかという気になって、そして手をひっぱってもらってやっと試みるような側面があります。後ろから蹴っ飛ばされるぐらいがちょうどいいようです。こういう性格を一般的には引っ込み思案と呼ばれると思います。「もう、はがゆいやっちゃ」と三澤さんから言われたことがあります。ただし、気に入ろうものなら今度は一筋というところもあります。
性格変えようと努力することもありますが、それこそ引っ込み思案で。