“台風で難破のアメリカ船、ある秋の凪の夜、貞吉さんが浜の漁に出てみれば、…”の沖田頭領による歓迎の宴での出し物もやんややんやの喝采で終わり、もうみんないい気分になっていて、お開きの雰囲気になる。我がメンバーは早速、工場と浜の様子を見に行きたいとそわそわしている。
しばらく浜を散歩して宿に戻ってきたら、どこに行っていたのかと、未だ持田さんも沖田頭領たちも地元の焼酎を飲みながら私たちの帰りを待っていた。
大頭領(おおとうりょう)の持田さんは82歳。昭和4年生まれ。息子さんと甥っ子さんの後継ぎがいる。背筋がピンと伸びて肌の色艶がよい。昔話なのか、素もぐりもやるらしく特産の「とこぶし(ながらめ)」は日に200kgも採ったそうだ。二瓶さんによると、今期限りで引退するらしい。
持田さんは同じ県内出身だという私のところに来て、実は…と、ホマレさんというお姉さんがいたという話に及ぶ。そのお姉さんは昔むかし私の町に嫁入りしたらしい、しかも嫁ぎ先は私と同じ苗字のところだという。お互いに酔っていたので話は堂々巡りだったけれども、それで親しく話し掛けてこられた。母が元気で生きていたら調べようもあったが、親戚付き合いのない私には、何分古い話でもあり確かめようもない。持田さんとは縁があるのかどうかはわからないが、なにかの結びつきはあるのかもしれないと考えた。酔いがまわって支えられながら12時近くに帰って行かれた。
私は翌日、帰りのプロペラ機の中で目を瞑り浜辺の夜のことを思い出す。まるで月の砂漠にいた浦島太郎が飛行機に乗って現実の世界に引き戻されていくような不思議な気分だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿