2009年10月20日火曜日

一日に歩く距離


 母親から学んだのは歩くことだった。
母は歩いて鍛えていたので、亡くなる直前まで自分で歩行できた。

 乗り物酔いを克服できたのは就職してからではなかっただろうか。学生時代も車に酔った。キャンパスを繋ぐスクールバスもだめだった。だから歩いた。つきあい始めたころの彼女はあまり歩くのを好まなかったが、そのうちひきずりこんだ。歩きに歩いたから、話もできた。路面電車は酔わなかったから、廃止の話が出た時には反対運動に参加した。文字通り足を奪われる事態だった。結局は多くの大都市から消えていった。

 古代、畿内のヤマト王権の支配が整って行く中で、租税(方物、食料、のちに租庸調となっていく)は徴税されるだけでなくそれを人々は自分で畿内の都まで持って行かなければならなかった。「養老令」(757年)の規定によれば、日数を重ねて連続して移動する場合の標準歩行は一日およそ26.6kmとされていた。私の故郷の町は薩摩国府があったところだ。ここから上りで40日かかったらしい。

 およそ想像がつかない。道がどうなっていたのだろう、標識があったわけではないだろう、橋があったのだろうか、野宿同然だっただろうと考えられる。病になれば、雨が降ればいかがしたのだろう。中央政府に納めるべき重い荷物を担ぎ、ひたすら歩いた、履物はどうなっていたのだろう。それを支配者の規定にはただ「歩(かち)50里(=26.6km/古代の1里は約532m)」と無機質に記されただけである。それによって納入期日が決められたのだろう。中村明蔵さんの『隼人の古代史』(平凡社新書01年12月刊)では「被征服民ハヤトのあえぎが聞こえてきそうである」と記述する。

 私はできるだけ一日12,000歩ぐらい歩くことを心掛けている。それで6km余りとなる。通勤と昼休みが勝負だ。職場でも階段を上り下りする。
 *画像はお江戸日本橋からの距離

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