2009年10月19日月曜日

豊かさのメソッド


 週が開けて出勤したら幾人かの先輩職員が加藤和彦さん(62歳)のことをことのほか話題にあげた。一報を聞いたときうつ病だったのではないかとピンときたが、それにしては後で聞けば遺書があるなど用意周到にも見える。私は団塊の下の世代だが、当時漠然と「心の自由」とか、そして「京都で学生になることの思い」のようなものの影響を受けたような気がする。ところで名声があるのに何故、首を吊って自ら死ななければいけなかったのか。

 昨夜のNHK「トヨタ新時代への苦闘」(21:00~)は塞ぎ込むような気になった。追いつかれる、競争に負ける、30万人企業トヨタのそんな印象しか残らなかった。なんだかそのまま日本社会が投影されているようでやるせない思いがした。私らの業界もそのトヨタ方式を学んでいる。カイゼンを信条とする人が人事部長だったりしている。

 『フィンランド 豊かさのメソッド』 (08年7月刊、集英社新書 著者:堀内 都喜子さん、*メソッド【method】=「体系的な方法・方式。」)はすいすいと読み進める。売れているようだ。子どもの学力が世界でトップと注目を集めた国がフィンランド。日本の九州を除いたぐらいの広さに500万人の人口。競争もあるのだろうが、全体としてギスギスしたものを感じない社会。教育のシステム、考え方が日本とまったく違う。人をつくる教育。失業率も低くはないから、せこい競争はあるかもしれないが、社会保障がきちんとしていて悲惨さはない。わずかな人口で人を資源とする教育、女性が活躍できる平等さ。肩の力が少し抜けた、真面目だけど頑張らないフィンランド人の良さを著者は描く。ちなみに彼らの言語には「頑張る」という概念にあたる言葉はないそうだ。

 追い詰められる、もう自分には価値が無い、やることもない。「うつ」は病とはいえ、こうなってくる。つらい症状である、どうすることもできない。健常であれば理解できない。社会的うつともいうべき事態がすすんでいないだろうか。

  「スローライフ」と提唱されながら、それどころではない現実が足元、身の周りに起きている。数値で測り、分子を分母で割りたがる。効率と数値的成果が表わせないと落ち着けない。ゆったり、のんびりするために、急いであくせくし、ギスギスと競争をしている。字面では「理解」できるのに、フィンランドのあり方は別世界だ。競争に勝たなければいけない、さあカイゼンだ、申告し合おう…とくる。自分の首はしめたくない。

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