1.安達太良SAにて
福島の被災地支援のボランティアに参加してきました。参加を決めて申し込んだのはわずか3日前。主催者の辻さんに沖縄連帯の集会で出くわしたからです。間に合うそうで、思い切って決めました。そのことを告げたら、つれあいも喜んでいました。
月曜日の早朝の通勤電車に乗る、34年間のサラリーマン生活のせいでしょうか、気が引き締まるのを感じました。7時に所沢を出て関越・北関東・東北自動車道を通って西福島ICを降り、福島市の渡利地域、川俣町、飯館村を経て目的地の南相馬市に到着したのは午後3時ごろでした。参加者は各地から乗用車4台に分乗、軽トラ1台(支援物資の米とじゃがいもを積載)を連ね総勢20名でした。
東北道では1時間ほどの工事渋滞に巻き込まれました(往復ともそうでした)。東北道の安達太良SAに昼食休憩も兼ねて集結したのですが、偶々食堂は機動隊の若い隊員のみなさんでごった返しておりました。そうしましたら、いつのまにか機関銃を装備ができる自衛隊の武装装甲車両も駐車しておりまして、ぎょっとしました。機動隊の若い隊員のみなさんと違って、こちらはいかにも屈強そうな隊員の人たちでした。あの車両はなんだったんでしょう。
2.経路の飯舘村の荒れ野
3.訪問地南相馬市および福島県北部沿岸部のこと
3・11当時震度6弱を観測。同日15時35分ごろ津波襲来。これに加えて福島第一原子力発電所事故による放射能被害を受けます(20kmおよび30km圏内)。地震、津波、原発事故の三重の被害を受けます。12年9月現在、死者972人(うち震災関連死336人)。市は警戒区域(20km圏内=ほぼ小高区)、計画的避難区域、緊急時避難準備区域(20km~30km圏内=ほぼ原町区)に指定され、多くの市民が着の身着のままで避難。現在は原町区以北が居住可能とされています。3・11以前の人口が約7.1万人でしたのが12年10月時点で約4.5万人となっておりました。
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