粛々と仕事をする。ノルマを凌駕する。そういうときには目がテンになっている。やっかいな案件をひとつ片付けると、登り道の曲がり角の先に出たような気がする。違う展望があるはずだと心はずむ。が、しかしそこはさらなる登り道だったりすることは往々にしてある。単なる登り道になんの見晴らしもない。凌駕するのは量だが、出来もなかなかだ。経験も蓄積をすれば質もあがる。ただ、量の計測では質は記録されない。報われなくともいいが、誰かの役には立っているのだろうと考える。
風雨吹きすさぶ様子の街を見下ろし、昼休みにその街にでれば、あの何かによく似ている。映画『台風クラブ』(1985年 監督相米慎二)のシーンが頭を巡る。台風と一緒に変化が訪れるという期待の、あの雰囲気を想い出す。
手作り製のりっぱな傘を手から離さずに、予約しておいた切符をエキネットで引き出す。窓口は混んでいたが自動券売機には誰もいない。うまく操作できた、というより簡単だった。案外ということだ。特急指定席料金が御褒美のように正規料金より多少割引になっている。これで盛岡までは行ける。「おめでとう」とメールがくる。
湘南新宿線は止まった。風雨のなか無事に走る通勤電車の中で、ちょっと分厚い本だがユン・チアンの『マオ(上巻)』(2005年 講談社)を読み始める。個人崇拝されたあの「英雄」のことをとりあげている。私が中学時代に起きたあの動乱。繰り返し「リュウショウキ」という人がどれほど悪人であるか、ラジオをつければ鮮明に入ってきたあの放送。晩年は同時代に生きていた人だ。政治的に敵視する人、建国の父・人民解放の英雄として崇拝する人、しかもそれを押し付ける人、冷静に批判する人、若いときはこの人物の同時代的評価を通して「ものの見方、立場」を学んだ、一方で彭徳懐の生き方も知った。洗脳される危うさも知った。時代を遡り実証主義的でおもしろい本だ。
帰り着くころは拍子抜けするほどひどい風雨も収まった。傘も丈夫だ。おいしい手料理が待っていていっぱいやった。しばらく風邪で控えていたので、久しぶりですぐに酔いがまわる。
台風が近づき、そして去っていった土曜日のことだ。
2010年10月31日日曜日
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