2010年10月19日火曜日

南島紀行(その1)



 いよいよ待ちに待った出発の日、いつもの通勤時間帯と同じ電車で向かう。レジャーへ行くぞという思いっきり怪しい格好をしているから万が一にも職場の人間と鉢合わせしたくはないなと願いつつ、職場への最寄り駅を通り過ごし、羽田空港へ向かう。空港では、二人とも大の好みの崎陽軒のチャーハン弁当がすぐにみつかってよかった。これは安くて旨い。定刻の1時間半も前に着いたのは、Hさんからもらっていたラウンジ券を使うためだ。飛行機に乗るなんて滅多になくなった。初めてそういうところに腰を落ち着け、いや落ち着きもせずフリーのビールとおつまみをいただく。ただなら、朝から飲むという‘貧乏人根性’が確かにある。

 2000円を奮発してJクラスを取っていた。3ヵ月も前から手配していた甲斐があって窓際だ。これで思いっきり、南の島々を空から眺めようと目論んでいたが、羽田を飛び立ってすぐに曇り空であることがわかった。昔みつけたあの濃緑の奄美の島をもう一度上空から見たかったがかなわなかった。那覇空港を経由して石垣島に着く。空港から200円バスに乗って波止場に向かう。そこのターミナルで「竹富島文庫1 種子取祭」をみつけ買い求める。KAさんYさんを見つける。西表島に行っていたとの由。民宿ののはら荘に泊まるそうだ。竹富島港につけば、広い駐車場には何匹か猫がのんびりとしている。石巻の先の猫島のネコよりかわいいのがごろごろしている。高那旅館の出迎えの軽が2台。ほかの泊り客と一緒に宿へ向かう。宿では、宿帳を書いて、着いたみんなの客に種子取祭の2日間の食事の時間と祭の説明会の案内がなされる。

 部屋は道の向かいのアパートのような別館2階。洋間で風呂トイレ付きだ。夕食まで時間があるので早速散歩に出かける。夕暮れ前で曇り空の下なので、あの白砂の村の道が少しも明るくない。フェリーでわずか10分余りだが海の色も鉛色でこれでは石巻の海と変わらないと話を交わした。エメラルドの海、白砂のまぶしい道、映えるような赤瓦の先の青空を期待していたのだが、そういう天候ではなかった。二人で前に来た時の記憶を手繰り寄せつつ、前に泊まった民宿の前を通ったり、中学校と併設している小学校を訪ねたり。学校にいたネコを撮ろうとして、りっぱなカメラを提げた老紳士二人と挨拶を交わす。すると、港近くの「ゆがふ館」で自分の作品の写真展をやっているから滞在中ぜひ観ていってほしいと紹介される。そのときは観に行きますと応えたのだが、とうとう行かずじまいで島を離れた。

 宿の食事は食堂だ。ここでKさんご一行とお会いする。夜は、宿の座敷でみなさんと一緒にミーティング。宿のおかみさんから島バナナの差し入れ。これが、皆旨いという感想。それでKさんたちが聞いてきた明日からの種子取祭の観覧の作法などをうかがう。Kさんのおつれあいと初めて親しく言葉を交わす。なるほど、トキさんがおもしろおかしく言っていた通りの、奥ゆかしいだんなさんだ。ああでもないこうでもないとお話をして、明日は神事の最初から観るために、午前5時に旅館の前に集合しましょうという話になって解散した。それが10時過ぎぐらいだったか。

 さすがに暑い。目が覚めたのが4時50分。あわててうちの相棒を起こし、ただ着替えただけで、降りていく。5時にみんなで出発、まだ暗い。御嶽(ウタキ)に行くも、まだ誰もいない。神事の儀式を見学するにせよ、場所取りにせよどうも早すぎたようだ。そのうちに、ヘッドライトをつけた他の観光客といってもカメラマンのような人たちから集まりはじめた。6時から神事の儀式が始まる。宿の朝食は7時からなので一旦引き上げる。昨夜は早くに寝ていたMさんのご主人と初対面のあいさつを交わす。素敵な御夫妻だ。

 再び会場に向かい8時半からロープの線に座り込み、一番前で「庭の芸能」観るべく待機する。曇りの予報のはずなのに晴れる。大きな帽子は要らないと思ったから旅館に置いてきた。ここに来るまで結構邪魔だったのに、なんのためにかぶってきたのだろう。1時間ほど待っていよいよ庭の芸能が始まる。これを観たかった。「さーさ」「はーは」「ちっち、ちっち」南国のリズムはいい。首を真横に振り振りがユーモラスで明るい。旅館の女将さんも演じている。かぶりつきで観ているので目と目があって会釈される。11時過ぎから「舞台の芸能」に移る。こちらは観づらい場所に陣取ってしまいちょっと疲れる。また、とても暑く、荘重な舞踊のときにはついこっくりとくる。朝の早いのがこたえた。演目は次の通り。『長者、弥勒、スー踊、鍛冶工、赤馬節、八重山上り口説、組頭、ササラ銭太鼓、仲良田、世持、元タラクジ、大浦越路、竹富育ち、世曳き、揚口説、海晒、祝種取節、みやくらび、伏山敵討、胡蝶、赤また節、鳩間節、繁昌節、竹富口説、ペーク漫遊記、しきた盆、…』ここまでがおよそ5時、旅館の夕食が6時だそうでその前にシャワーも浴びたかったので退出する。これらの演目を仮に説明しろと言われてもよく覚えていない。「竹富島文庫1 種子取祭」と照らし合わせてああそういうことなのかとやっとわかる程度。本島生まれの比嘉さんにも竹富弁はわからないと。 ただ、比嘉さんは何回か観ていそうで解説ができる。

 全部観て帰って来た他の客の話によると、演目は6時40分ぐらいまであったらしい。食事の後、少し休み、ユークイ(世乞い)が始まっているはずなので南の集落(仲筋村)へ行く。そこが意外に早く終わって戻って来たら、こちらはまだどこかでやっている。そうして10時半過ぎにこの旅館へもやってきた。ユークイ(世乞い)のてぬぐいが会場にて千円で販売されており、「祭りの歌」という冊子が付いていた。その冊子には歌謡の現代語訳と解説が載っておりそれでようやく中味を知ることができる。 旅行2日目の夜が更けていく、「竹富の芸能尽くし」で軽い疲れ。明日も晴れてくれ。

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