2010年10月18日月曜日

南島紀行(その2)

 芸能2日目の夜中のはずだ、水が流れるような音がして目が覚める。何だと思ったら雨ではないか。そして朝早く起きたころには雷雨だった。天気予報を見ると、日本列島今日は西からくずれるとのこと。ここは日本の西のはずれだ、「もうくずれているよ」とつぶやく。

 帰りは宿の人に軽ワゴンで港まで送ってもらった。若い彼女は旅館の縁者の人だろうか。繁忙するこの祭りの日のために応援に来た人だろうか、小柄な女性だ。宿でお世話になったお礼を重々申しあげて、まるでターミナルみたいな港の建物に入って行こうとしてもういちど車の方に目をやれば、彼女は運転席からまだこちらを向いていて笑顔で会釈を返される。ああ、こういうところに来てよかったなと思う瞬間を味わう。

 3ヵ月ぐらい前のこと。高那旅館を8人分予約したから先着順だ、何日までに返事をという案内が急で、ぐずぐずしていたら締め切りをとっくに過ぎてしまった。何年も前のことだけれども、次に行くことがあったらこの旅館にしようと思っていたから、試しに直接電話をいれてみた。洋室なら1部屋2人分空いているという、竹富島の種子取祭奉納芸能の日(10月7日、8日)の2泊がとれるというのなら迷わずおさえた。それで、あとでわかったことだが、Kさんがおさえた8人分は結局埋まらなかったそうで、事前の会合の集まり具合からすると意外だった、それでこちらは抜け駆けをしたみたいでKさんには恐縮してしまわざるをえなかった。

 Kさんたち一行と定刻の7時に朝食をともにする。みなさんは2日目の奉納の芸能はもう観ないで、増田昭子先生が企画した石垣島の各所を訪ねるという。平久保あたり(石垣島の最北部)の開拓農民を訪ねたり、食事をしたり、夕方からは生産者のみなさんと交流をするという意義のあるもののようだ。案内をいただき迷ったけれども、私たちは2日目の芸能まで全部観るつもりでいたのでそれに合流しなかった。8時半に宿で皆さんを見送る。せっかくのお誘いをお断りして申し訳ないと増田先生に申しあげれば、「いいえ、貴方たちの方こそお気の毒だと思うんですよ」とのご返事。自信ありげだった。

 高那旅館の道を隔てたところは竹富郵便局。ここの消印はここの窓口で出さなければ押してもらえないと聞いていたから、9時の開店と同時に絵葉書を持ち込む。邦男さんへも出しておいた、秋刀魚の希望日を書いて。宿の支払いを済ませ、荷物を置かせてもらい、傘を借りて、会場の嶽(ウタキ)へと急ぐ。濡れた砂の道を歩けばざっくざっくと音がする。まるで昔の運動会の日のように遠くから拡声器の声が聞こえてくる、しかも法螺貝の音まで聞こえてくるのは、庭の芸能の最初の演目「棒」が始まっているからだ。

 前日の教訓で、先に舞台の芸能を観られる場所を確保する。やや小降りの中で前日と同じ庭の芸能が奉納される。やがて、舞台の芸能に移り、昨日に続いて公民館長のあいさつ。竹富島の種子取祭は600年の歴史のなかで、昭和19年の‘いくさのゆ(戦の世)’だけ途切れたことがある。それが、夜半からの雷雨で、今日で途切れるのではないかと心配した。それこそ神懸り的に雨があがった。やはりミルク(弥勒)様がついている。1977年にこの祭は国の重要無形文化財に指定された。竹富島の人口は347名、18年前に比べて約100人増えた。そういう趣旨のことが聞き取れた。あいさつは、皆、「竹富言葉」である。司馬遼太郎が1974年に訪れた「街道を行く6 沖縄・先島への道」によれば、島の人口は当時336人と記してある。そして高那旅館に逗留している。

 以前に私達が来たのは2002年のことであったらしい。勤続25年の休暇がとれて、初めて八重山を訪れた。いつも地図を眺めていて、この群島はそれぞれが遠い離島になっているのだとイメージしていたら、石垣島を中心の西南の方角にあれこれ目に見えるように位置していた。それで「八重山」というのだそうだ。当時竹富島で泊まったのが、民宿の松竹荘。そこの女将さんが、種子取祭の芸能に貢献した一人として舞台にあがり晴れ着姿で表彰されていた。喜寿になったそうだ。なつかしい顔とあのときのグルクンの唐揚げを思い出した。

 幾度か雨も降ったりはしたが、大降りにはならずやがてあがった。演目が延々と続く。石垣島の港で前日に買い求めた「竹富島文庫1 種子取祭」(狩俣恵一著、遺産管理型NPO法人 たきどぅん発行 2004年)と照らし合わせながら観る。なにしろ何もかも「竹富言葉」であるらしい、琉球言葉であるかないかも区別はつかないが、さっぱしわからない。以下、演じられた順番に『奉納、シドワリャニ、かぎやで風、揚作田節、天人、たのりゃー、世果報花、蔵ぬ花節、竹富節、種子蒔、夜雨節、揚古見の浦、父子忠臣、扇子舞、夏花、畑屋ぬ願い、かたみ節、盛山ぬドッケマー、する掬い、仲筋ぬヌベー、武ぬ舞い、古見ぬ浦節、仲良田節、まるまぼんさん節、長刀の舞い』、それにあと4つ演目があったのだが、つれあいにハプニングがあり、石垣島の歯医者さんに行かねばならなくて、最後まで観ることができなかった。これが4時半のこと。宿に帰って、荷物を引き取り港まで送っていただく。おめでたい祭だからと奉納の泡盛をいただく。

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