「今日を生きる私は私らしく」(櫛田ふきさん)とそうしたいとうなずくのだが、その“私らしさ”が問題だ。
身閑なり、すなわち貴なり(からだひまなり、すなわちとうときなり)
「立居振舞いがいかにも閑雅で、ゆったりしていて、落ち着いていて、急がず、いらだたず、こせこせせず、その一瞬を大切にする余裕のある人」が「貴い人」であると、白居易の詞を解釈して、辰濃和男さんは『ぼんやりの時間』(岩波新書、2010年3月)で紹介している。
身閑なり、すなわち貴なり(からだひまなり、すなわちとうときなり)
「立居振舞いがいかにも閑雅で、ゆったりしていて、落ち着いていて、急がず、いらだたず、こせこせせず、その一瞬を大切にする余裕のある人」が「貴い人」であると、白居易の詞を解釈して、辰濃和男さんは『ぼんやりの時間』(岩波新書、2010年3月)で紹介している。
まったく遠いな、私にはそういうものがない、というより真逆だ。それが今の私らしさなので、私らしく生きるわけにもいかないな。すなわち修行が要るな。
0 件のコメント:
コメントを投稿