2010年8月23日月曜日

命日


 一年経てば曜日が一日ずれる。あの日は土曜日から日曜日にかけてだった。

 危篤状態で駆けつけたが、母親は酸素マスクをつけて胸を上下する呼吸をしているだけの姿だった。小康状態を保つような、長丁場になるかもしれないと考えて、一旦、旅館へ引き揚げた。姉も疲れている様子だった。風呂に入り食堂で食事をとり、部屋でテレビをつければ思い出のメロディをやっている。一休みしたところに携帯電話が鳴る。施設から、こうこうこういう症状だからと連絡。婉曲に言われるが、要するに小康状態どころではないらしい。ということで、準備をしてすぐに施設に向かう。

 全部暗くなった土曜の夜の施設の中で、母親の部屋だけが煌々と明かりが点いていたことが印象に深い。つい夕刻のときよりも、手足の紫斑が進んでいた。呼吸が止まり初めて緊張する。「さちこさん、さちこさん」と介護士さんが必死で呼びかける。呼びかけながら手足をさする。それを真似て私たちも冷たくなっていく母親の手足をさする。すると呼吸が戻ってくる。何度目かの呼吸が止まったときに、それっきり呼吸をしなくなった。

 看護士さんに死亡を確認してもらい、かねてから母親自身が友の会に入って手配していた葬儀屋さんに連絡をとってもらう。真夜中だったが母を斎場に搬送することにした。この施設にはここにこういう出口があったのかと妙に感心した。真っ暗な中でそこだけが明るく灯が灯り、夜勤の皆さんがみんなで見送ってくださった。その情景が心に残った。

 この一日がものすごく長く、疲労したことを想い出す。また、今日と同じく猛暑だった。

 今日で一年が過ぎた。もっと美化した母を描こうと考えていたら、とんでもない夢をみて不思議な体験をしたものだ。

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