仕事中で、本日の黙祷をすべき11:02を逸してしまった。
武器はいつでも脅威だ。怖いもの。身を守るといいながら武器を持っていることは、相手にとっては威嚇になる。その筋のひとがチャカやドスをひけらかして脅しをかけているのと変わらない、それを国家レベルでやっている「愚」である。
「2発の原爆によって平和が訪れた。」「核兵器は抑止力であって平和に貢献している。」「核の傘の下にあって安全だ」と言う。あべこべだろう。核兵器を使用したあるいは保有したことによって、人類はより恐怖の世界に突入した。ありのままに見つめればそれがヒロシマ・ナガサキの実相だろう。あの悲惨が平和への貢献であるはずがない。感じないようにしているが、65年ものあいだ、そしてこれからも人類が保有する核兵器の、核の傘のもとでの恐怖の体系の中にいる。それで安全だと思い込んでいる。果てしない軍事予算。常に使えぬ矛となり、役に立たない盾となる。だれのためになっているのか。軍事および軍需産業そのもののためだろう。武器や核兵器で平和を保つというのはまったく倒錯した考えだろう。
政権交代までした被爆当事国の総理が核抑止力に拘泥されているとは、真摯な人類の知恵と今の機運をないがしろにするものだ。平和宣言の希望に、動き出している核廃絶への期待に、ここに至っても背を向ける愚かさだ。据わった腹がないようだ。
2010年8月9日月曜日
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