2010年8月12日木曜日

25年目の灯篭流し


 母の初盆を迎える。昔の郷里のことであれば、親戚縁者から雪洞や盆提灯を贈られ仏壇を花で飾らねばならない。もうそういうことをやらないけれども、灯篭流し(精霊流し)というものをやってみたいものだと考える。

 彼一流の表現で「サイタマのチベットと言われている」とかなんとか言われて、夜から泊りがけで学者先生と一緒に職場の幹部である彼の運転で連れて行ってもらったのが、旧神泉村だ。美しい三波石峡や首都圏の水がめのひとつである下久保ダムのあるところで、そこを流れるのが神無川(かんながわ)だった。源流は上野村で、誘われてその村にも哲学者の先生のシンポジウムに皆で行った。さる労組の企画で『沈まぬ太陽』(山﨑豊子1999年)の主人公恩地元のモデルになった小倉寛太郎(おぐらひろたろう/1930年 ~2002年)さんのお話を拝聴する機会にも恵まれた。当時、九州にいて、いったい、どこら辺かもわからなかったことを考えれば、こちらに出てきてこういう縁があるとは想像もしていなかった。

 あの日のときのことをよく覚えていない。ジャンボ機が消息を絶ったというニュースで、お腹の大きな伴侶がはらはらしていたのに、それがどうしたみたいな反応をしていたので、それ以来ずっとこのことを責められている。お前はそんなヤツだと。たしかにそういう側面がある。暑くて、仕事を家に持ち帰る「猛烈社員」で、それどころではないぐらいの了見だったのだろう。事故のひとつやふたつではないことが、徐々にわかってきたのはその日から間もなくだった。10月には三男が生まれたのでこの子の歳と同じ歳月が過ぎた。

 以前はカラオケで「見上げてごらん」をへたなりに絶唱していたが、もともと無い声量がもっと無くなって段々唄えなくなってきた。

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