2009年9月2日水曜日

薩摩の文弥人形


 “灯台下暗し”とはこのことです。
この7月にわざわざ海を越えて佐渡島まで珍しいものがあるものだと文弥人形劇を観にいきました。ところが、どっこい実は私の故郷にその文弥人形劇があったのです。奇な縁とはまさにこのことでしょう。今回の帰省で私は初めて知りました。

 「平成の広域合併」をして今は同じ市内になりましたが、それ以前、川の上流の東郷町というところは故郷の町の隣町でした。ここに斧渕(おのぶち)という昔からの集落があります、高校時代、斧渕君という友達もおりました。おそらく我が薩摩地方の数少ない農業生産性の高いところ、簡単にいうと田んぼの地力(美田)があってお米のよくとれたところだと考えられます。

 故郷に滞在中たまたま、母の部屋のものを処分しに行った場所が東郷町で、そこで「東郷町斧渕の文弥人形」の看板をみかけました。「通称『人形踊り』といわれ、江戸時代以来、近郷の人々に親しまれてきた」そうです。7月に佐渡の野浦というところに行って観て来たあの芸能が、この薩摩の一集落にも守り伝えられておりました。不思議な縁を感じます。由来には2説があって、そのうちの一説には「参勤交代の供で上府(江戸へ来た)した東郷侍が、佐渡の人形師を連れてきて習いおぼえた」という佐渡由来説もあります。

 ウェブ検索すると「昔は、収穫が終わって農業をしなくてもいい時期に、野外などで演じたそうです。舞台は、上はワラ屋根をふき、黒幕をかぶせ、人形の頭上にも黒幕をたらした。拍子木で開幕し、雪も降らせた。見物する人は、焼酎を飲みながら見て、あとになると、舞台に上って人形と一緒に踊ったという。東郷には、道化人形サイロク、ソロマというものがあると書かれている。佐渡の、のろま人形とは、作り方も、操り方もちがい、これらは、マキョ(間狂言)のとき、両手に一本の竹の棒を渡されたサイロクとソロマは、オハラ節、ハンヤ節などを、見事におどる。しかも、手首を曲げて踊ってみせ、赤い舌も出して、哄笑(こうしょう:大きな声でどっと笑うこと)の表情で踊る。このようなものは、佐渡にもないもので、薩摩らしいものであり、これが、「人形踊り」といわれる由来であるといわれている」と紹介してありました。

 ちなみに、京都・大阪ではやっていた「岡本文弥」が語る人形浄瑠璃が伝承されているのは全国で4箇所(石川県尾口村、新潟県佐渡、鹿児島県薩摩川内市東郷町、宮崎県都城市山之口町)だそうです(【山之口麓文弥節人形浄瑠璃】より)。

 薩摩川内市観光ガイドのホームページには以下のように紹介してあります(画像もここから引用させていただきます)。
『文弥節人形浄瑠璃:郷土芸能である「文弥節(ぶんやぶし)人形浄瑠璃」は、義太夫節人形浄瑠璃以前の古浄瑠璃人形の系統を伝える文弥節による一人遣人形浄瑠璃で、新潟県佐渡郡、石川県尾口村・鶴来町、宮崎県山之口町、鹿児島県薩摩川内市にのみ伝承されています。いつの頃から行なわれたものかはっきりしませんが、江戸時代元禄11年(1698年)頃、参勤交代の折り、島津氏の随行役をしていた東郷の郷土が、郷里の子弟の士気を高めるためにと上方(京都・大阪地方)から文弥節の師匠を連れ帰り広めたものといわれ、また一説には寛文10年(1670年)頃、江戸から連れ帰ったとも言われています。
 2003年10月14日には、もっとも距離が離れていながら、語り口などに相似が認められる本町と佐渡の人形が早稲田大学より招かれ、具体的にその類似点・相違点が研究されるとともに、一般に公開し、記録が作成されました。今後は「東郷温泉ゆったり館」専用会場にて定期的な公演も行なわれる予定です。』


 11月3日(火)東京おもちゃ美術館で『佐渡のトキを帰す運動と「文弥人形」上演を行います』とのご案内をいただきました。

2 件のコメント:

増田・大仏・レア さんのコメント...

ほぉ~。

余情 半 さんのコメント...

 NHKには「ふるさとの人形芝居 人形に宿る遣い手の心~鹿児島県東郷町・文弥人形」(放送日1997年8月14日)というアーカイブスもありました。

「(2008年1月18日)、東郷文弥節人形浄瑠璃(県指定無形民俗文化財)が,国の重要無形民俗文化財に指定するよう,国の文化審議会から文部科学大臣へ答申されました。」ということが薩摩川内市のホームページ(文化財)に載っておりました。