2011年11月25日金曜日

夜空に祈る



18歳のとき兄の住む町で病に倒れ入院生活を送った。見ず知らずの関西の市民病院で頼りは兄しかいなかった。当時兄の子どもは幼く兄も仕事が忙しかった。兄は仕事を終えた夜間に私の着替えなどを持って見舞に来てくれた。あるとき、「頑張れよ」と横たわった私の両手で手をぎゅっと握りしめてくれた。

 亡き母の生涯で辛かったことは3つあるだろうと考えている。最初の出産のときの難産、戦争による全財産の喪失、老いて後の独り住まいの孤独。

 第1子である兄が戸籍など自分の出自を調べてわかったらしい。双子だった。もう一人は助からず兄も弱い子だった。兄は虚弱児で育てるのに苦労したという話は母から何度も聞いたが、双子であったとはとうとう一度も聞いたことがなかった。我々兄弟誰も知らなかった。

 先週末から容態がさらによくなく、副作用も加わって辛い状態にあるらしい。息子は往復2時間以上をかけてほぼ毎日見舞に通っている。事務所を夕方6時に出るので周りは楽をしているとみられるよなぁと言う。日頃の働きぶりは「来る者拒まず」の姿勢で仕事を請け負っている状態で、家に仕事を持ち帰り休日もこなしている。「母子がリスクのある状態」だということで、その報告に今晩病院から我が家に立ち寄った。部屋で一服させて一目見て顔のやつれがわかった。お腹の子は今「にんげん」になりつつあるところでなんとかもちこたえなければいけない。医師や病院はその手助けをする。結局は自らの生命力しかないが、今それを癒し励ますことができるのはつれあいの支えである。あなたが頼りだろう。その支えが倒れてしまっては目も当てられない。仕事を減らすしかないではないか、母子三人の生命と健常を保つことが最優先、人生の一大事ではないかと諭す。ホントならずっと寄り添っているべきだ。長男はうんと一言うなずいて12時前に帰って行った。昨日と今日、彼は新しい家族を迎えるために引っ越しをした。

 放射冷却現象。昼間は快晴でお日様を受けていれば暖かかったが、陽が落ちてから一段と冷え込む。夜空に祈る。

0 件のコメント: