2011年11月14日月曜日

いのちを支える

 カキもハシもカレーも生来刷り込まれたイントネーションは直せない。秋にはいつも、つれあいから陸の柿なのか海の牡蠣なのかどっちだと訊き返される。インドのカレーですか海のカレイですかとくる。柿は好物だ。福島産だというので買い求めた。「みずしらず柿」に見えた。聞けば、福島は柿のブランド産地でそれを畑に捨てているという、くやしさが伝わってきた。会津身不知柿(あいづみしらずがき)。

 一日働いてきたつれあいを出迎える。開口いちばん「聞いて・・・」とくる。
そうだ、たいへんだね、けしからんね、と相槌を打つしかない。
いいの、いいの、聞いてもらえて気が済んだから・・・。
つれあいは気持ちの切り替えができる。

 おじちゃん、また遊びに行っていいかな。
共稼ぎで3歳の子を育てながら、末端の管理職に登用されて早朝出勤深夜帰宅を繰り返す姪っ子は不安とストレスが絶えない。私には逃げてもいいかな、と言いながら自らはしのいできた頑張り屋。

 実は聞き役は苦手だった。人の話を聞いていない、素通りさせてしまう。昔を振り返れば汗顔の至りだ。人の話は聞かず、自分の言いたいことだけを言う、その性癖はまだ残っているだろう。ただ、それに気づくことができるようになった。

 歳を重ねて、たいした人々と出遭うようになり、こちらには深い知識や経験はないから、自ずと聞き役にまわるようになってきた。「うなづきトリオ」あれである。「ふんふん、ああ、そうですか、それで…」。

 聞き役にまわっているといくつかの場合、相談事のように見えて、実はこちらの意見などは期待していないこともあることがわかってきた。聞いてあげて、共鳴することが大切なのだと。その方が多い。気持ちがわかってほしい、こんなことがあるんだよ、こうしたいのだ、それへの同意あるいは背中を押せという場合がある。つい出過ぎたことを言うと疎遠になることもある。見極めが難しい。

 大量生産、大量消費、チープ、大量廃棄、効率・歩留りで人間関係も忙しいばかりで中味がない。好き嫌いがあって、もともと孤独癖があるので、交友範囲は広くない。しかし、来るものは拒まなくなった、むしろ愛おしい。ひとの境遇にうなづけるようになった。といっても、そんなたいしたものではない。人がつらい状態にあるな、迷っているなというのが多少感じられるようになってきた(晩年の母親には及ばない)。

 芸術家。あれほどのすごい演奏をするのにバイオリニストの若林暢さんは、「ぜひお帰りの際には(チャリティーの)募金をよろしくお願いいたします。」と何度も舞台から頭を下げた。にこにことして、そのへんのおばさんのような気さくな人柄に思えた(プログラムにあるのは、あれは若いときの写真だな、いいけど)。目の前の席をとり舞台を見上げて演奏の様子も体感した。聴いているあいだ、痛めている右肩がガンガンした、演奏会場を出てみればそれがない、決して音楽がわかる人間ではないのだけれども不思議なことが起きるものだ。ええ、そんなことってあるのとつれあいも驚き気味だ。

 これまでの被災地の生産者(農業や水産業)の報告ではまわりで自殺者が出ているとを実感としてよく聞いた。10月時点ですでに28,000人を超えているそうだと聞いたが、念のためWebで調べてみると26134人であるようだ。いずれにしても、統計的には毎年32,000人前後で高止まりして久しい。

 「話を聴き、いのちを支えるボランティア」埼玉では、今後以下の催しが予定されている。
■埼玉いのちの電話20周年記念 「クミコ “いのちを歌う”」
日時 2011年11月27日(日)  開場15:00 開演16:00
会場 大宮ソニックシティ 大ホール
■チャリティー映画会「アンダンテ ~稲の旋律~」
2011年3月19日に中止といたしましたチャリティ映画会は2012年3月20日(火/祝日)に開催。上映時間(2回):10:30~、14:00~、 会場 大宮ソニックシティ 小ホール チケット 1,000円

 みずしらずのひとの話を聴き、いのちを支えるのは心身ともにタフで訓練がいるらしい。
 喪中葉書の内容をつくりあげた。なんだか、なにをやるにしてもひとしごとだ。

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