陸前高田や南三陸町のように何もかもほぼ根こそぎ津波にさらわれていったのではなくて、気仙沼でもつれあいの実家のある町内の津波被害はまだら模様のような様相だった。建物も何もかも無くなったところ、階下が無くなり屋根や階上部分が崩落したところ、建物だけが残ったところ(ただし内部は全壊状態)など、場所によって違う。数軒先は跡形もないというのに、実家はご近所とともに建物だけは残った。二階まで水は来たらしい。長身の義兄は二階で首まで浸かったが寸でのところで助かった。うなぎの寝床のような住まいで、両親のもと居た部屋は二階の奥まった少し高いところにあったらしい。もう日常には使っていなかったようなものがわずかながら残った。それらの中から、つれあいは母親の遺した毛糸玉を遺品にもらってきた。四月の末のことだ。大切になにかの衣類をほどいたものだったりしたのだろうか、毛糸の色はまちまちだが幾つかあった。擦り切れたような毛糸がほとんどだった。母親がいつかなにかに使おうと捨てないでとっておいたものだろう。自分で編んでいればまたほどけるという。どれほどモノを大事にしたことか。そうであろうということを引き継いで、つれあいはもくもくとこれらの毛糸を編んだ。編んで器用に組み合わせてついにストールのようなものを完成させた。いつのまにか、だった…。
最初は母親の思いをなぞるように、そのうちそれすらも忘れて編み物に没頭するのが心地よいようだった。まとまった色の毛糸玉を使ってソータローのフード付きジャケットも編んだ、あとはボタンを付けるだけらしい。そのボタンを物色している。世界に二つとないクリスマスプレゼントにするという。
そして、つぎに生まれてくる赤ちゃんのものを編むこともチカさんには約束している。これには新しい毛糸を買う。カード会員には割引セールをやるというので二人でデパートに行った。昔のような紳士用の襟付きのカーディガンがまた流行ってきているらしい。ちょうど飾ってあるのがそういうもので高価だ。つれあいは編み方の本さえあればできるというので、私のためにも毛糸玉を買ってもらうことにした。
みんなからどうしているのと聞かれる。うまく言えないから「雲を観て過ごしている」という。やりとりをすればつまるところ、みなは働いている方がその方が楽だという。活躍している。ほとんどみなそうだから、私の方がやはり変わっているらしい。いや、なまけものかもしれない。なんだか申し訳ない。私は少年時代にしたように雲を観ていたいから。行ったことのないところに行ってみたい。
二人暮らしの静かなときが流れる。手編みのカーディガンもいつかそのうち出来上がるだろうか。
2011年11月20日日曜日
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