2010年3月31日水曜日

極限の


人を殺傷することが許されるはずはない。
3月29日のモスクワの地下鉄で起きた自爆テロ事件。
ロシア当局は北カフカス地方の組織の人物とみて捜査を絞り込み、報復に似たニュアンスで対応を表明している。イスラム系の女性の犯行で身元を割り出し中だという。監視カメラに映っているらしい。

テレビのニュースでは「女」と呼び捨てにされる。実行犯は二人だ。

誰が計画を立て命じたのだろうか、あるいは示唆、「志願」させたのだろうか。
いつか劇場を占拠したときに実行犯グループには女性もいて胴体に爆発物を巻いていた(モスクワ劇場占拠事件2002年10月23日~10月26日)。あの姿を連想する。当局は強硬手段に及び実行犯たちは全員殺された、人質も多数巻き込まれて。

今回は監視の網をくぐって、群集に紛れ込むために、爆弾を巻いた身体を外套か何かで包んでいたのだろうか。インディラ・ガンジーを暗殺した捨て身のテロ(91年)も想いだしてしまう。

自らも吹き飛び、周りの人を殺傷する。その覚悟のほどが、心理が、わかるようでわからぬ。私には考えることすら「極限」だ。

この自爆攻撃を計画し命じた者が確実にいる。そして実行者には女性が仕立て上げられる。弾圧や戦争(チェチェンでは苛烈な事実がある)で夫を失って絶望的になった未亡人だとまことしやかに言われる。

ロシア当局は「威信」にかけて犯人を割り出すかもしれない、組織をそして民族を急襲し十把ひとからげで報復を行うことだろう。それは虐殺と徹底した生活の破壊となるだろう。それで愛する人を、身内を失った‘女’がまたいつか無差別の自爆テロをくりかえす。

今週末、姉夫婦は熊本の嫁ぎ先の法要を兼ねて南九州を訪れる。義兄は知覧の特攻記念館に行きたいという。航空機による体当たり攻撃の戦死者(乗組員)5千数百人だ。17歳ぐらいの少年から数多の青年の命が使われ、志願という形をとった「戦法」だった。

記録映像で見たことのある、訓練したシェパードに爆弾を背負わせ敵陣に突入させたドイツ軍の「戦法」。同じように訓練したイルカに爆弾を背負わせ敵艦隊に突入させる戦法。

屈強な男ならよくて、知恵のある動物や女子どもならかわいそうでけしからんというのではない。ただ、戦法そのもの、とりわけ実行者の起用に、卑劣さ愚劣さを見せざるをえない、やりきれなさ。複雑な背景があること、負の連鎖であること、この手段に追い詰める大きな力があることも当然併せて顧慮しなければならない。

自爆攻撃という方法を、極限の手段という中身のことに私は想像をめぐらして、そしてその想像から逃げ出す。

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