2010年3月22日月曜日

わかるの


「こつなぎ」の話になれば、義母も話がわかる。二戸だぁ、なんだかんだなんて米は食べられなかったと聞いていたの。女が山で木を切り倒す、それをまた切る、そして運ぶ。なんて生活は普通だったよぅ。南の私のところでお米は食べられたけれど、北はお米なんてお正月に食べられるぐらいだったのよぅ。死ぬ間際になって耳元でお米を横にゆすってザラザラという音を聞かせて「米はこんなにあるから安心して逝ってけらいん」と送ったらしい。岩手の北のひとは大変だったと思う、私たち南の方は、お米はあったけれど女の人が働くことはそんな風だったよう、おんなじ。男の人が寝てからおしめを洗っていたの。

こちらは山奥から出てきたのろまだったから、こっちの人は町のひとだもの。戦後で食べるものはないしね。お舅さんもお姑さんも穏やかな人だから救われた。そうでなかったら逃げていたかもね。おっとりした妻殿の母親は少しだけ気性の激しいところがあるようだ。田舎から出てきて長男の嫁になり「苦労したこと」をいまさらながら吐露できる。大変だったのだろう。

私がドキュメントを見て観念的に想像することと、同じ観念的ではあっても「こつなぎ」を実感で想像できるようだ。ひとつひとつ具体的になにがどうだったのか、ドキュメンタリィという映画はまた物語り、観たり聞いたりした人はまた語る。

とくに女の歴史はそうだ。都合のいいことだけが「歴史」ではないだろう。リアリティがあり、つまり迫力がある。圧迫を受けた側の証言はそうだ。

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