2010年3月13日土曜日

そこで共に生きている


北部薩摩の私の郷土だけの菓子かもしれません。南に行くとまた変わると思います。むっかん(蒸羹)これがし(高麗菓子)いこもち(煎餅)は何かあれば引き出物として使われたものでした。砂糖をたっぷり使う、美しくつくる、もちろんおいしい。これを請け負う地元のお菓子屋さんは慶弔どちらにしても注文主に恥をかかせてはなりませぬから切磋琢磨をしたものです。いわば名誉を体言していました。ですから当時はお菓子屋さんといえば町ではそれなりの規模の商売をしていました。

砂糖とは黒砂糖のことを言う場合が多く、いわゆる砂糖は白砂糖と言う場合が多かった。今はミネラルがどうのと黒砂糖を評価するが、昔は白砂糖をまっとうに使うというのが正当な評価だった。では砂糖はどこから来たか。奄美・琉球からである。他県にもましてそういう背景があると考えられる。食べ物の商品的価値で贅沢といえば、お酒とお菓子。文化だ。無くても生きてはいけるが、無くては寂しいもの。

その沖縄では石を投げれば“比嘉さん”に当たるほど一番のありふれた名前らしい、本土でいう”田中さん”だ。三つ巴にせずに、新たな基地をつくらせない、頼らない、暮らしを立て直すということで比嘉先生は念を押して降りた。稲嶺市長は辺野古の海岸に一本の杭も打たせなかった運動を引き継いでいる。なのに、行政域内でありながら立ち入ることのできぬキャンプシュワブの中ならいいではないかと基地がつくられようとしている。日本政府によってだ。卑怯なやり口とアメリカに慮り過ぎた姿勢は前の政権と変わりはない。今、しこりを超えて地元の市議会も県議会も一致して声を挙げている。日本の政府がこれを踏みにじろうとしている。これでいいのか。

今日は東京のお茶ノ水でドキュメンタリー映画「こつなぎ」(09年、2時間)を観た。監督の中村一夫さんとプロデューサーの菊池文代さんのあいさつに続き、シンポジウムを拝聴した。会場はすごい人の集まりだった。

♪東京へはもう何度も 行きましたね
 君の住む美し都

うまく歌えない。

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