サスペンスドラマに出てくる殺人事件。車に乗る。下り坂にさしかかる。うん?!ブレーキが効かない。ああぁぁ・・・。
先週の土曜日の朝刊を見たっきり、母のことで、新聞もテレビもインターネットもほとんど見ないで過ごしてきた。国の進路を決める選挙期間中に社会参加できていない気分だ。どうなるかわからなかったので、期日前投票も済ませた。小選挙区は「よりまし」選択をしたが今でも後味が悪い。
その先週末の朝刊によれば民主党が圧倒的な議席を獲得しそうな情勢だった。前回の小泉魔法にひっかかったときといい、今回予想されることといい、絶対的多数を与えるということは、非常に危険なことだ。
暮らし向きが危うくなり、路上に寝起きをする人々が現れている、電車が止まるのは、あれは人が飛び込んでいるからだ。人間の身体がばらばらになって生涯を終える、その悲しみを感じ取れない社会になって行きつつある。格差はやがてあらたな「差別」を産むことになるだろう。資本主義は暴走を始めた、懲りてはいない、様子をうかがっているだけだ。「生活を守らなかった」のは自公政治だ。やめさせたい、だが、その票がまた催眠術にかかったように民主党にのみ流れるのは意味が無い、そして危険だ。そもそも多様な民意を反映しない小選挙区制という制度にやはり欠陥がある。
イギリスのサッチャーさん以来長く続いた新自由主義政策、資本主義(お金の力)という獣の側面を野に放った結果、小泉構造改革で人間がモノにされてしまった。「憂さの晴らし方」、「こぶしのおろし方」が違う。小泉選挙で懲りたはずだ、絶対的多数(=権力)を与えてはならない。
ブレーキが効かない車はどうなるか?
以下は私が『八県百感』というブログに投稿した内容(8.18、8.20)
ブログ主は共産党の九州ブロックの比例代表の候補者の方。猫と焼酎と温泉が好きで、弱いものをいじめる輩が嫌いな人らしく感性がおもしろい。
<8.18>
自公政治にえらい目にあいました。終わりにしたいです。では、民主か。あれは自民の片割れ、クローンです。それどころか、一部にはもっと過激な新自由主義、効率主義的な体質を持っています。ヒトはモノではありません。教育、平和、民主主義的原則において自公の先を行くもので、冷たい政策を持っています。落ちこぼれの切捨て、ひとの多様性への寛容の無さ、ご免です。共産・社民に奮闘していただきたい。しかしながら、社民は民主にすがるようです。民主に是々ぜーぜーとひっぱられる将来がみえます。かつての「新政党」のときに小沢さんに捨てられて自民に拾ってもらい、世紀の大転換をしました。喩(たと)えていえば「自死行為」、命をとりとめましたが背骨を骨折する重傷でした。多くの支持者たちを失いました。大転換は支持者への裏切りでしたから。過去をほじくりだしたくはありませんが、前身の社会党の姿を忘れていません。
貴党は国会での議席といえば下りのエスカレーターを必死で駆け上る姿(志位さんの吐露)です。そのひたむきさがいい。見ていれば駅頭でビラをいつも受け取ってもらえるわけではないけれど、世論調査で2-3%だけれど、反戦を貫き通した先達の実績、筋を通す背筋と意地、これがいい。一層奮励努力していただきたい。人情左翼(矢野狛江市長)であってほしいと考えます。つながりを拡げ、拝金主義、人でなし資本主義に立ち向かいたいと考えます。「自民か民主か」ではない、一方の選択肢だと考えます。
<8.20>
「気骨の判決」(8月16日NHKドラマ)は戦前しかも戦争中のことです。事実に照らし合わせて司法を守った話。昭和17年の衆議院選挙、国策を強力に推し進める「翼賛政治体制協議会」(略して「翼協」)という組織の推薦候補者以外の候補者への露骨な選挙妨害が行われました。候補者の選挙無効の訴訟に対して出された判決を描く。大審院に権力(東条内閣)の意向に沿う裁判官が送り込ます。それにすら毅然と対峙して「選挙無効」の判決をくだしたという内容です。
大審院とは今の最高裁に相当します。なにを言いたいかというと、司法の独立は戦後これを守るべしというのが国是ですが、権力(内閣)の意向を汲む判事が送り込まれているのが実態です。三権独立と国民主権を守るために総選挙と同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われます。自衛隊イラク派兵の法案を作った元事務次官出身の判事などはよくよく審査されるべきだと考えます。こちらも大事な投票権です。
今では口に出して言える「平和」も、「気骨の判決」のあの時代には言えませんでした。選挙の争点は大東亜戦争聖戦完遂の方法のどちらかであって、戦争か平和かの選択ではありませんでした。
日本国憲法第79条、最高裁判所国民審査、国民は裁判官を罷免することができます。 「法の番人」をよくよく審査すべきです。衆議院選挙と同時に行われます。形骸化、形式化しているように実感しますが、大事な国民主権の制度です。
さてそれで、あの小泉内閣のときに官僚のトップである外務次官として自衛隊のイラク派兵法を推進し、後に「憲法違反」(08年名古屋高裁)とされたこの派兵法の実務責任者を麻生内閣はこともあろうに最高裁裁判官に任命しました。その方は竹内行夫さんといいます。それで「国民審査竹内バッテン(×)運動」と呼んでいます。この方は憲法の番人にはふさわしくないと考えます。
先週の土曜日の朝刊を見たっきり、母のことで、新聞もテレビもインターネットもほとんど見ないで過ごしてきた。国の進路を決める選挙期間中に社会参加できていない気分だ。どうなるかわからなかったので、期日前投票も済ませた。小選挙区は「よりまし」選択をしたが今でも後味が悪い。
その先週末の朝刊によれば民主党が圧倒的な議席を獲得しそうな情勢だった。前回の小泉魔法にひっかかったときといい、今回予想されることといい、絶対的多数を与えるということは、非常に危険なことだ。
暮らし向きが危うくなり、路上に寝起きをする人々が現れている、電車が止まるのは、あれは人が飛び込んでいるからだ。人間の身体がばらばらになって生涯を終える、その悲しみを感じ取れない社会になって行きつつある。格差はやがてあらたな「差別」を産むことになるだろう。資本主義は暴走を始めた、懲りてはいない、様子をうかがっているだけだ。「生活を守らなかった」のは自公政治だ。やめさせたい、だが、その票がまた催眠術にかかったように民主党にのみ流れるのは意味が無い、そして危険だ。そもそも多様な民意を反映しない小選挙区制という制度にやはり欠陥がある。
イギリスのサッチャーさん以来長く続いた新自由主義政策、資本主義(お金の力)という獣の側面を野に放った結果、小泉構造改革で人間がモノにされてしまった。「憂さの晴らし方」、「こぶしのおろし方」が違う。小泉選挙で懲りたはずだ、絶対的多数(=権力)を与えてはならない。
ブレーキが効かない車はどうなるか?
以下は私が『八県百感』というブログに投稿した内容(8.18、8.20)
ブログ主は共産党の九州ブロックの比例代表の候補者の方。猫と焼酎と温泉が好きで、弱いものをいじめる輩が嫌いな人らしく感性がおもしろい。
<8.18>
自公政治にえらい目にあいました。終わりにしたいです。では、民主か。あれは自民の片割れ、クローンです。それどころか、一部にはもっと過激な新自由主義、効率主義的な体質を持っています。ヒトはモノではありません。教育、平和、民主主義的原則において自公の先を行くもので、冷たい政策を持っています。落ちこぼれの切捨て、ひとの多様性への寛容の無さ、ご免です。共産・社民に奮闘していただきたい。しかしながら、社民は民主にすがるようです。民主に是々ぜーぜーとひっぱられる将来がみえます。かつての「新政党」のときに小沢さんに捨てられて自民に拾ってもらい、世紀の大転換をしました。喩(たと)えていえば「自死行為」、命をとりとめましたが背骨を骨折する重傷でした。多くの支持者たちを失いました。大転換は支持者への裏切りでしたから。過去をほじくりだしたくはありませんが、前身の社会党の姿を忘れていません。
貴党は国会での議席といえば下りのエスカレーターを必死で駆け上る姿(志位さんの吐露)です。そのひたむきさがいい。見ていれば駅頭でビラをいつも受け取ってもらえるわけではないけれど、世論調査で2-3%だけれど、反戦を貫き通した先達の実績、筋を通す背筋と意地、これがいい。一層奮励努力していただきたい。人情左翼(矢野狛江市長)であってほしいと考えます。つながりを拡げ、拝金主義、人でなし資本主義に立ち向かいたいと考えます。「自民か民主か」ではない、一方の選択肢だと考えます。
<8.20>
「気骨の判決」(8月16日NHKドラマ)は戦前しかも戦争中のことです。事実に照らし合わせて司法を守った話。昭和17年の衆議院選挙、国策を強力に推し進める「翼賛政治体制協議会」(略して「翼協」)という組織の推薦候補者以外の候補者への露骨な選挙妨害が行われました。候補者の選挙無効の訴訟に対して出された判決を描く。大審院に権力(東条内閣)の意向に沿う裁判官が送り込ます。それにすら毅然と対峙して「選挙無効」の判決をくだしたという内容です。
大審院とは今の最高裁に相当します。なにを言いたいかというと、司法の独立は戦後これを守るべしというのが国是ですが、権力(内閣)の意向を汲む判事が送り込まれているのが実態です。三権独立と国民主権を守るために総選挙と同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われます。自衛隊イラク派兵の法案を作った元事務次官出身の判事などはよくよく審査されるべきだと考えます。こちらも大事な投票権です。
今では口に出して言える「平和」も、「気骨の判決」のあの時代には言えませんでした。選挙の争点は大東亜戦争聖戦完遂の方法のどちらかであって、戦争か平和かの選択ではありませんでした。
日本国憲法第79条、最高裁判所国民審査、国民は裁判官を罷免することができます。 「法の番人」をよくよく審査すべきです。衆議院選挙と同時に行われます。形骸化、形式化しているように実感しますが、大事な国民主権の制度です。
さてそれで、あの小泉内閣のときに官僚のトップである外務次官として自衛隊のイラク派兵法を推進し、後に「憲法違反」(08年名古屋高裁)とされたこの派兵法の実務責任者を麻生内閣はこともあろうに最高裁裁判官に任命しました。その方は竹内行夫さんといいます。それで「国民審査竹内バッテン(×)運動」と呼んでいます。この方は憲法の番人にはふさわしくないと考えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿