2012年1月12日木曜日

いけない


一日遅れで録画していた山田洋次監督の「監督生活50年後編(NHK)」を観る。

つれあいの親友モンは中華料理店を営んでいた。4月の初めお見舞いに訪れたとき、津波に襲われ住宅も店も中は破壊され、隣の塀は傾き今にも崩れ落ちてきそうだった。電気も水もきていないのに真っ暗な中で息子さんたちと黙々と片づけを続けていた。暮れに律儀にも見舞のお返しといって物を送って寄越し連絡をとった。今は志津川あたりの高校生たちを賄い付きで下宿させていると知った。あのときは絶望的な状態に見えたのだが、確かに彼女は黙々と立ち上がろうとしていた。来たものはしょうがない、とにかく生きて行かねばという感じだった。その「これから生きていく手段」を数少ない情報の中から、彼女は既に描いていたのだ。

息を呑んだ被災地のこと、一変した光景、あの空間。あのときのことはなかなか話してくれるものでもない。

あの日から10ヶ月。お兄さんはどうしていらっしゃいますかと問われれば、もう落ち着いたようですとつれあいは答えている。娘婿が陸前高田の高台に親の土地を分けてもらい、家を建てる意志を持っている。娘夫婦は親子4代で住んでいた家と祖父母を失ったが、幸いにも職は失わなかった。義兄もこの娘夫婦と孫と再び一緒に住もうという希望を持っている。

私という唐変木は
這い上がったつもりが、また、ずり落ちる。
やり直し。時間もかかる。
ためいき。
だが、今のうちにずり落ちておいてよかった。放っておけばもっと奈落に落ちたはずだ。
うかつだった。「良いことはそれ行けドンドン」に呑まれ、気に留めていたことをいつのときか割り切ってしまっていた。正しい感性を置き去りにして無意識に進めようとしている。足元を踏みしめる。
蟻の一穴が堤をも壊す。
反省。

原発と風評の被害。
二つの人災への怒り悲しみを表現できていない。
割り切れなさをいつのまにかさらりとどこかに置いてしまっている。
いけない。
生半可。

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