2011年8月19日金曜日

甥っ子の哲ちゃん

♪庭のさんしゅうの木に
なる鈴かけて 
ヨーオーホイ 
鈴のなるときゃ
でておじゃれヨー


 昨日は録画しておいてもらった。今夜は10時からだ。

 映画『人間の条件』は学生時代、繁華街である新京極のどこぞの映画館のオールナイトで一気に観たのだと思う。記憶が一致しているから、彼女(今のつれあい)と観た。仲代達矢さんの余りの熱演に、それ以来仲代さんを「先生」と呼ぶことにして久しい。
それで、今般NHKBSで再度観ているのだが、さっぱり覚えておらず、初々しく鑑賞できる。

 身内といえども甥っ子のことは断片的にしか知らない。機械いじりが好きで、本人によれば「いじり」ではなくて「改造」らしいが、就職先も好きな道を選んだ。ほとんどマイナーなメーカーに入った。そこがつぶれたが、幸い次のメーカーに再就職できた。工場が私の通勤沿線にあったので、アパートを一緒に探し、隣の町に住んだ。ところがそのメーカーも業績不振で人員整理、甥っ子が失職したのは30代半ばを過ぎていた。さすがに私も慌てた。しかし、さすが甥っ子、技術職として腕に覚えがあったので、再就職活動は順調に進んだ。さる大手メーカーと町工場みたいなメーカーに合格した。町工場の社長からは将来工場を任すとまで言われたそうだが、さすがに二度の失職に凝りていて本人も私たち周りも自ずと「安定」の方を望んだ。 

 私の母は少し封建的な考えの持ち主で、男児には立身出世を願い、娘は手元に置いておきたいと考えていた。なにしろ士族の出で明治生まれである。下の姉は猛反発し、上の学校に上げてやるという両親の説得を蹴って、東京に自分で就職先を探し高校を出るや否や家を出て上京した。その後、その就職先には後輩たちも続いて入ってきたらしく、自分がそのパイオニアであることを少し誇らしく思っている。この姉は結婚相手も自分で決めた。
 一方、上の姉は母に従い、当時流行の服飾専門学校を出て地元のデパートに勤め両親の元で暮らした。そして、言い寄る相手もあったと思うがいつのまにか婚期を逃した。母は必死になって相手を探し、ついには東京でさる企業の副社長をしている弟に頼み込んだ。この叔父の骨折りで、自分の会社の社員との見合い結婚にこぎつけた。それは、宮城県松島の人で、結局は故郷を離れることになって、父も亡くなっていたから母と私だけが残された。亡き母の思い出話になったとき、上の姉こそ東京に出たいと心から望んでいたそうだ。それで妹のことがうらやましくてならなかったそうだ。姉は結婚して転勤で各地をまわって一男二女に恵まれた。

 その第一子が、この話題の主人公甥っ子の哲ちゃんである。
 人のいい子でまじめなのだが、なぜか浮いた話も聞こえてこなかった。母の葬式で皆が集まったとき話題になって、女の従兄弟の目からみても「いい人なんだけれどもねぇ…」という感じだった。兄の子で同じ歳の裕くんは少し蔭りがあって、あれならもてるかもという評価とは対照的だった。

 たまに姉に会えば「いい人がいたら世話して…」と言われるのが鬱陶しかった。結婚相手は自分でゲットするもの、私がそうだったので「本人の問題」と突っぱねていたから。とはいいながら、心にひっかかっていた。私の叔父のとりもつ縁で生まれた甥っ子、巡り巡って私自身が叔父としてできる範囲でならとは思っていた。

 あとは本人たちの問題。ひょうひょうとしている、哲ちゃんに飾るところはない。いつもあんな感じだ。それでいいという人、性格のいい人と一緒になってくれればいいと思う。それだけが価値のすべてだとは思わないけれど、できれば家庭を持ってほしい。家族をつくってほしい。まっ、「赤い糸」で結ばれていなかったらそれはそれで無理をすることはない、哲ちゃん自身がわかっていることだろう。独りも生き方だ。

 昨夜はそういうことで映画『人間の条件』第四部を観ることができなかった。

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