2011年8月4日木曜日

さて、ソータロー

 私がこの世に生を受けた時、父方の祖父母はこの世にいなかったが、母方の祖父母は健在だった。しかし、その祖父母の膝の上に抱かれてかわいがられたという記憶は私にはない。同居していたわけではなく、あくまでも母の実家の祖父母で私は外孫だった。私自身が子供らしく無邪気に祖父母の胸に飛び込んでいくタイプでもなかったし、祖父母も孫だからと言って猫っかわいがりする人たちでもなかった。祖父は母からお祖父さんにきちんとお辞儀をしなさいとしつけられた畏まった対象ではあっても、甘えていいよという感じは微塵もなかったように覚えている。

 そんな私自身がいつしか4人の子の親となりそれをまがりなりにも育て上げ(つれあいには失格者の烙印を押されるが)、果ては祖父になったことも何か不思議な気がしている。そして、そういう生い立ちのせいか、孫だからといって私も孫を猫っかわいがりはしていない。おんぶだって抱っこだってするし、こっそりおもちゃだって買ってはいるが、べたべたはしていない。

 ソータローはよく言えば活発で、悪く言えば今のところ乱暴者のようだ。息子にはそういうところがなかったので誰に似たのだろう。そのソータローも8月に入っていよいよ保育園に通うことになった。月末から母親のシホさんが職場復帰するからだ。近所の保育園に入れたのはよかったが、シホさんもカルチャーショックを受けている。先に入園している同年代の子供たちが自分でご飯も食べられるしいろんなことができるそうだから。しかし、一番はソータローかもしれない、小さな人生の転機になっているから。第1子の子育てはいつも大変だ、いつもうちの長男のことを想いだす。

 その8月も四日目が過ぎた。さて、私はなにをしたかったのか。

0 件のコメント: