2011年3月18日金曜日
七日目
つれあいの父母は今日で初七日ということになる。
津波に呑まれた。逃げ遅れた、…逃げなかったのではないかもと思っている。
岩手から駆け付けた従兄弟二人が兄とともに安置された亡き父母に対面してきた。納棺され4月3日に火葬に付されるという。さまざまな事情はまだわからない。
行方不明を知って動揺し、遺体発見の知らせに泣き崩れたつれあいの涙はもう乾いた。今日は電車に頼らず、元気に新しい自転車で通勤した。その時間には深い黙とうを捧げた。
当初、消息の確かめようがなく一刻も早く安否を知りたいつれあいは、避難所の名簿(つまり生存者およびその所在)をマスコミに公開すべきだという趣旨を日曜日には『朝日』に投稿していた。早速に採用の連絡があって本日、金曜日に掲載することになっていた。なんでそんな遅くにと思ってはいたが、結局その要望は実現されたため掲載には至らなかった。手元に幻の紙面(ゲラ)がある。
いろいろな人からお悔やみと励ましをいただき、本当にありがたかった。ご心配をいただく向きもあるがもう元気だ(見かけは)。まだら模様ながら故郷の友人知人とも連絡がつくようになった。ライフラインが何も復旧していない中、一部の固定電話が先に復旧したらしい。津波に遭遇したかしないかは、人によっては紙一重だったことがわかってきた。他郷にいる旧友からもお悔みをいただく。つれあいの同級生たちはよく泊まりにきて母のことをよく知っていたので我がことのように悲しむ。
グーグルパーソンファインダーにて消息を尋ねていた。
今日つれあいには祖母の「なを」さんから直接電話があった。なをさんは祖父の後添えつまり義理の祖母にあたる、もちろん家族同然だ。姪ごさんがパーソンファイダーで探していることを知って、その人から電話が掛けられてきて本人に替わった。
思いもかけず邦雄さんの携帯から私の携帯にかかってきた。拍子抜けするほどいつもの声の調子だった。避難先に居るようだが、女川の自宅も工場も無事だったそうだ。それにしても、ようやく生きていることをこの耳で確かめることができてほっとした。
もう梅が咲き、クロッカスの花が咲いている。悲報は早く届き、朗報が昨日あたりから届いている。
義父母の生きた証(あかし)を認(したた)めたい。
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8 件のコメント:
適当な言葉が見つからず、コメントを書けずにいました。
今も本当はなんと書いていいのか・・・
奥さまの心の傷が癒されることは無いと思いますが・・・
どうか一日も早く悲しみから立ち直られますことを心よりお祈り申し上げます。
昨日、コメントをしたのですが・・・
ゆっきんママさま
ん、なんとか頑張ります。
そして、みんな頑張りましょう。
私らには孝行をしたい親がいなくなりました。あまりにも、唐突に。
ママさまは私らの分も、お父上とのふれあいをなおさら大切になさってくださいね。
ところで、昨日のコメント、お手数ですが趣旨だけでももう一度いただければ…。
ごめんなさい。
ごめんなさい・・・
私どうかしてました・・・
削除されてしまったのかな・・・って不安になってしまったりして。
それなのに・・・それなのに・・・
私の父のことにまで思いを寄せていただき、ただただ申し訳なさと自分の情けなさと(不安に思ってしまったことに対して)余情半さまの暖かさに感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログを毎日拝見していて、でもなんと言葉をかけていいのかわからずにいました。
私も息子を交通事故で(列車にはねられました)唐突になくしました。
心の傷がいえることはないと思います。
が、どうか余情半さまのご家族、ご親戚の皆様にまた明るい日々が戻りますことを心よりお祈り申し上げます。
大したことが書けずに申し訳ありません。
思いはあるのですが・・・
再度のコメントありがとうございます。
自然死でないということは確かにつらいことですね。なんで?と思います。
今度の被災は、聞けば聞くほど生死には紙一重のドラマが多くあったようです。義理の甥が当日のことを詳細に綴りつつあります。
困ったときはお互い様なのかもしれませんが、我々肉親が駆け付けられない分、近隣の従兄弟や親戚が助けてくれます。親戚というのは母の親戚、兄嫁の親戚、姪の婿の親戚です。頭がさがります。私の親戚なども親身になって心配してくれます。友達の広がりもあります。でも、現地には消息のわからないつれあいの友人もいます。こんどの被災はすごい規模ですね。
母を一昨年失いましたが、つれあいの両親は健在でしたからまだまだ孝行の真似事ができると思っていました。ほんとうに格言のとおり「したいときには親はなし」です。
さて、私のところのブログはシャッター街にある商店みたいなもので繁盛しておりません。別に謙遜しているのではなくご覧のとおり事実です。それで滅多にしかお見えにならないお客様を大切にこそすれ、そのコメントを削除することはありません。ご安心ください。いつでも、どんなことでもよろしくお願いします。
おはようございます♪
実は娘の彼、地震当時気仙沼にいました。
お父さんと旅行中で、お店で食事をしている最中でしたが、お父さんが昔津波の経験があったとかで、とっさの判断ですぐに高台に向かって助かったとのこと。まわりは火の車で生きた心地がしなかったそうです。
そのお店は津波で流されました。
そしてその日は陸前高田に泊まる予定だったので、地震が数時間遅かったらまたどうなっていたか・・・
彼はすぐに携帯の電源を切ったため、こちらからの連絡が余計取れずに心配しましたが、そのおかげで電池が切れることもなく、最後まで、彼からの行動状況を連絡してもらうことが出来ました。
そして娘の彼は幸いにも翌々日には帰宅できました(恵まれた偶然が重なって)
喜ぶことがはばかれてブログには書きませんでしたが、我が家にもちっちゃなドラマがありました。
ありがとうございます。こんばんは。
追い打ちをかけるようなこの寒さはつらいものがあります。
彼氏は稀有な体験をし、無事でよかったですね。一方ではそのように被災をまぬがれなかった人々もたくさんいらして振り返れば複雑な心持だとも考えられます。
このたびの被災の一部にはさまざまに明暗を分けた判断や行動があったようです。次に生かすためにも、さまざまな体験や見聞を残し伝える、そしてそれを受け止めることが今後とも必要なことだと思っています
。
重苦しい気分を切り替えることも必要だし、前を向いていくこともそのとおりです。しかし、次に生かすためにこそ、起きたことをありのままにとらえておく努力は必要だと考えています。直視しようと思っています。
ママ様、19日にいただいていたコメントが調べたら、何らかのことでスパムに入っておりましたので本日公開しました。あらためて、コメントありがとうございました。
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