土曜日はへとへとに疲れていた。何をしてきたわけでもない。からだがふわふわする。日記もつけず眠った。夢をよくみた。覚えてはいない。
今日の日曜日しかない。何を買い出しにいくか朝からリストアップした。被災地に行くのはいいが、迷惑をかけるわけにはいかない。持って行ける限度もあるし、我々は一時期のことだ、別に食べられなくてもいいとは思うから食糧は最低限のことにする。さすがに水は重いし限度がある。どうせ着替えられないだろうからそれも最低限にする。作業用には皮手袋がいいらしい。衛生用品、薬などを揃え、あとは被災地に届けられるものを考える。
73年の石油ショックの買い占め騒動を体験した。洗剤と紙製品に始まってモノが店頭からなくなった。モノが出てきたのはいいが、たった1週間で価格がほぼ倍になった。狂乱物価、便乗値上げだった。今回は驚いたことにそれがまったくない。メーカーも流通も実に冷静で誠実な対応をしている。マネーファンドと投資家以外の、社会的進歩を実感する。首都圏の人々の買いだめも一巡したのか、それとも供給が追い付きつつあるのか、店頭にはモノが並んでいて落ち着いて必要なものを揃えられる。よかった。こういう時は、レジャーキャンプ用品や介護用品に陳列してあるようなものが必要になる。午前中は久しぶりに車を出してこういう買い出しをした。
沖ヶ浜田黒糖生産組合の沖田頭領が入院中と聞いた。3月11日のあの日たまたま東京にいた。「本場の本物」関連の会合に出席していて地震に出遭った。数少ない種子島人の大震災体験者となった。余震で当夜は眠れなかったという。甘いものが好きらしい。我が家の畑で作ったサトウキビを一族の手作業で刈り取り、自分らの共同の作業場で作った黒糖ができたから、うちのを送るよと組合事務局長の長野さんから連絡があった。それならば被災地の誰それに送ってもらえないかと依頼してみた。レターパックならば避難所でも気付で、しかも早く確実に送れる。快く引き受けていただき早速送ってもらっていた、こういうときなのでお言葉に甘えた。昨日は私の職場宛にも送ってきた。それで、午後は自転車で隣町に行った。御礼とお見舞いの手紙を添えて川越の最中を種子島に送った。今日中に発送してもらえるらしいので助かった。
ついでに西友をのぞいたら、水道水の放射性物質検出のために買いだめ騒動のあったミネラルウォーター2Lがエンドにきちんと並んでいる。ハウスのブランドでしかも92円だ。一家族一本の制限はあるが誰も買い占める様子はない。ここに限らず不当に値上げされたものはない。むしろ特売価格すら維持されている。あらためて感心した 。
「もん」からは昨日初めて連絡がきた。泣いた。そして今日も夕方黒糖が届いたと連絡がきた。もう孫もできた歳だが、幼なじみは今でも「ちゃん」付けで呼び合う。「…ちゃん、ひとくち食べてれば、元気がでるんだよねぇ。ほんものだよねぇ」と。こういうときは語らずとも本物だとわかる。ひとの情けがあるから。
もうひとりの送り先であだ名は「サンダー」。海辺であるが高台であったがために津波の難を逃れた。それで皆が身を寄せた。にもかかわらず、自宅被災であるがために救援がなく、当初水も食糧も何もかも不自由した。彼女からも届いたよとの電話があったらしい。
種子島「沖ヶ浜田の黒糖」はわたしたちの本物であると同時に、同胞の絆の産物でもある。
気になっていた遺影の準備もできた。持っていくものも揃えた。バックパックや寝袋も息子の友達らから借りた。あとは何をどうもっていくか取捨選択するだけだ。そう思ったらほっとした。夜はビールを飲んだ。
2011年3月27日日曜日
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