2011年3月17日木曜日

春の強風


揺れが春の強風のせいなのか、余震なのか、めまいなのかよくわからない。

ブログを日記にしようとしているが、今こそこの記録を付けるべきときなのにすすまない。眠られず一気にメモを書いてもいるがブログにしていない。

今日からつれあいは出勤した。もう電車は当てにならないから、自転車通勤にしたらどうかと提案した。あんなところ私にとっては30分程度で苦にはならないが、普段ならいやがる彼女も覚悟を決めた。今日は電車で行ったので、それで私が近所の猪俣サイクルに購入に行った。今日は定休日だったがたまたま開いていた。国産(ブリジストン)の丈夫そうなのにした。支払いをしてお釣りをもらおうとしたら、レジが開かない。計画停電が始まっていた。試乗を兼ねて大きな道路に出ると信号が作動していない。大きな信号に行くと警察官が発動機で信号を動かしていた。テレビで見た品川区が姉妹都市宮古宛ての救援物資の中にいれていた発動機と同じものだった。それにしても風が強い。本日、計画停電は2度あった。被災地のことを思っても、自分の生活スタイルを考えても苦にはならない。しかし、インターネットがつながらないのは不自由だ。KDDIの事業所はグループが違うらしく、停電が回復してももう3時間はつながらない。

強震に、津波に生き残った人たちは、今度は生きのびなければならない。この寒さだ。ガソリン、灯油をはじめ物資不足だ。血流ともいうべき物資が届かないらしい。被災者は着の身着のままが実態だ。疲弊、ストレスで亡くなる人たちのことも報道され始めている。

今朝、初めて兄嫁から自分の携帯で電話があった。気仙沼の避難地からつながったということだ。情報がなくて周りのことはなにもわからないという。今は行きたくても行けないといえば、援助してもらえるようになったら欲しいものは何でも言うからと、気丈だ。娘婿の通くんの陸前高田の一家は無事だったらしい。通くんが自ら行って確認してきた。娘のかおりは市立病院の看護士、通くんは唐桑半島の施設の介護士だ。通常なら車で通うべきところを歩いて通い勤務している。職務柄とはいえ頭がさがる。

大震災直後からグーグルパーソンファインダーに登録して安否、消息を尋ねていた。我々の世代以上ではやはり利用者は少なく、若い人と思しき人からの登録、情報入力が多い。若い人の芋ずるにわかってくる。女川の邦雄さんが生きているという情報を「息子」さんから入力してあった。あの壊滅と報じられた女川で生きていたというのが事実なら奇跡的だ。その途端うれしさで涙が溢れてきた。志津川の叔父の牧男さんは遺体で発見されたと四男の従兄から連絡があった。そのほかの家族(妻、三男、長男家族)の消息はわからない。仙台から二男たちが被災地に入ると言ってきた。

長男がお母さんは元気かと心配してくる。つれあいは仕事に行けばまぎれると言っている。長男と救援に行くことで情報を交換する。今、仕事にはならないから一緒に行けるという。交通事情から職場にも行けたり行けなかったりとのことだ。二男は何がなんでも行かなければならない職務なので自腹を切って車で出かけている。しかしガソリンがいつまで続くやら。

物流が開けなければいけない。

なにか揺れているような気がする、みしりとくる、春の風か、地震か、めまいなのか。

0 件のコメント: