2010年5月31日月曜日

「ちひろを語る」


 共産党といえば「とんでもない」という人にたくさん出くわす。はなっから、論外という。亡くなった母もそういう一人だった。そういう母が松本善明さんのファンだった。昔のNHKは昼間の国会中継を律儀に流していた。予算委員会のような重要な審議の中味だったと記憶している。東大出であること、「医者か弁護士」かの弁護士であること、当時若くて甘いマスク。そして、政府を詰めているその理屈と心情にいちいちうなずいていた。それなのにこの人があのコワイキョウサントーの代議士であることが不思議でならなかったらしい。初当選は40歳のとき(1967年)だったという。

 往年のオールバックの髪がさすがに真っ白になっていたが、その松本善明さんが84歳でお元気で、まさか身近にお話を聞くことになろうとは思わなかった。画家のいわさきちひろさん(1918~1974)が前のご伴侶だったことは有名だ。「平和を願い子どもを愛したちひろの絵と生涯」と題する講演を聞く機会に恵まれた。

 墨絵の技法、能の表現(世阿弥を愛読していたらしい)、必要でないものはすべて取る――「引き算の芸術」、最小限で表現、伝統的な芸術を引き継いで、しかも和画ではない。貧しくても多くのひとに絵を手にとってもらえるように印刷芸術、印刷工場まで行きこだわった、絵の心を印刷するとまで、言っていたようだ。

 ちひろさんが好きだったアンデルセンに性格が似ているのではないかと松本さんはいう。悲しくむごたらしい話を美しく描くところなどは共通しているのではと。

 ちひろさんの絵(「ロンドン橋がおちる」落ち葉と子どもが遊んでいる)が好きだと言う松井秀喜さんの「野球は楽しむもの、守備もバッターもやりたい」という野球観が記録を追求するイチロー選手と違うのではという松本さんの観察眼も紹介された。

 ちひろさんの絵本を眺めたり、本を読んだりしたことはあったが漠然としていて、伴侶として沿うて同じ人生を歩んだ人から一通り体系的にエピソードにも触れながら紹介してもらうことによって、より深い興味がわいてきた。

 日曜日の朝は寒くて灯油も残っていたのでストーブを引っ張り出して暖をとった。

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