「味噌の里親」プロジェクトから味噌づくりセットが届きました |
母が生きておれば今日で百歳でした。
母は百歳まで生きると意欲的でした。それが合言葉のようになっていました。
百歳でなくとも白寿でおおいにお祝いをしようと義兄と話し合っておりました。
生前は母の誕生日に前後してお祝いをするために努めて帰郷しました。
南国ですので、この時期は柑橘類が種類多く出ておりましたので、詰め合わせにしてよく人に贈りました。姪の名前と同じ「はるみ」はもう関東でもよくみかけるようになりましたが、文旦の一種である「サワーポメロ」などは珍しく喜ばれました。
亡くなって三年、足が遠のいてしまいました。
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