いつもとは違う時間帯に遅く我が家を出た。
乗り換えたのは最終目的地ではないところに行く快速だった。幸い一駅で座れた。
だから、どこかで乗り換えなくてはいけないと思いながら、岩波新書「大地動乱の時代」を読みつつ、ついうとうととしてしまった。はっと気付いたら向こうのホームに併走して走る電車が止まっている。隣の人も向かいの人も乗り換える。乗り換えだと思い込んでしまい、そして周りにつられてしまい乗り換えた。そうしたら運のいいことにまた座れた。何も考えずに再び眠り込もうとする。ただ走っていてどうしても様子が違う。どう考えても止まる駅の数が多い。もう着いてもいいころなのになかなか着かない。そうしているうちに準急の止まる駅に着いた。そこでおかしいと気が付けばよかったのに、なにがどうなっているのかぐずぐず考えているうちに準急は行ってしまった。これは最終駅までずっと止まり続ける各駅停車だとようやく自覚する。そして最終駅まであと一駅だというところでも停車しもう一本準急に追い抜かれてしまった。
不思議な日だった。それでいつもより30分は遅れてようやく職場についた。
結局私の生き方はそういうことなのだろうと、変に納得してしまった。遅かれ早かれ、多かろうと少なかろうと、そうなのかもしれない。
有料の特急、快速急行、急行、通勤急行、快速、通勤準急、準急、各駅停車、複雑な運行が日々営まれる。次のなにがしかの電車までひっきりなしに電車は入ってくる。
しかし、「計画停電」のとき、実施された準急と各駅停車だけの間引き運行は体験してみれば日常の急行に乗るときよりさほど遅くもなく、そして混むこともなく通勤できた。シンプルな方がよほど快適なのではないかと思った次第。
過剰な電気、取り返しのつかない未来とこれからの安全、原発は要らない。そう思っている。
2011年5月10日火曜日
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