2009年11月5日木曜日
七つの祝い
かつて九州では長いこと百円札(板垣退助さん)が流通していました。義兄によれば五十円札(高橋是清さん)もあったらしいです。祝儀袋に収まったこの高額で無いお札は義理の儀礼に使うのに重宝でした。百円玉ではそうはいきません。五百円札(岩倉具視さん)ではちと多すぎます。
数えで七つ、小学校に上がる前のころのことでした。七五三、七つのお祝いにとご近所、それも広範囲のご近所から御祝儀袋が届けられました。その様子を記憶しています。
見ず知らずというかあまり縁のない遠いご近所の方まで訪ねて来てそれを置いていきました。その家庭に七つになる子がいれば、当たり前に持っていく慣わしか何かが普通にあったのだろうと思いますし、わざわざ伝え聞いてまで持ってくるというのはそういう行為が何か御利益(ごりやく)があると考えられていたのではと思います。中味は百円札一枚でした。贈る方ももらう方も負担になるものではありません。七つになる子がいればお互い様、地域あげてよく育ったねとお祝いしてあげていた名残りだったのでしょうか。
瞬く間に百円札がたまりました。そのたびにそのお客さんにお会いしてご挨拶をさせられました。「半ちゃんに」と言って、もってこられましたので、てっきり私のものだと思っていました。人見知りだった私が我慢して表に立ったのはそのせいでしたのに、とうとう母からは百円札一枚ももらえませんでした。一日五円が小遣いでしたので百円札一枚は大金でした。そのせいで覚えているのでしょう、私にはどこか執念深いところがあるようです。
田中優子さんの著書『カムイ伝講義』「子どもとはなにか?」にあります「七歳前後まで育つことがめでたいことであり、ありがたいことであった社会があった」の記述でふと思い出したのです。
皆がどこそこには七つのお祝いの子がいることを知っていました、知ろうとしていたように思います。無関心ではありませんでした。地域が子どもを支援していたように考えます。
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